その張り紙を貼ることになったのは、ある一人の客が原因だった。
店の入口に貼ってある紙には、こう書いてある。
「従業員にナンパ目的で接触しないで下さい。
見つけた場合は出禁にさせていただきます。
店長」
普通の店なら、こんな張り紙は必要ない。
でも、貼らざるを得なかった。
私はこの店の店長だ。
問題が起きたのは、数週間前のことだった。
夜の時間帯、外国人の男が店に入ってきた。
最初は普通の客だった。
飲み物を買って、少し店内を見て帰る。
それだけだった。
ところが、数日後。
また同じ男が来た。
そのとき、レジに立っていたアルバイトの女の子に話しかけた。
「LINE?LINE?」
片言の日本語だった。
女の子は困った顔をして言った。
「すみません、お客様…」
男はスマホを差し出してきた。
「LINE、教えて」
女の子は何度も「できません」と断った。
でも男は笑っている。
その日はなんとか帰ってもらった。
しかし、それで終わりではなかった。
男は、それからほぼ毎日のように店に来るようになった。
しかも買い物をするわけでもない。
店内をうろうろする。
そしてレジに女の子が立つと、必ず近づいてくる。
「LINE?」
「友達?」
「かわいいね」
女の子は完全に困っていた。
ある日、アルバイトの子が私に言った。
「店長…あの人、ちょっと怖いです」
その言葉を聞いて、私は男に直接注意した。
「お客様、店員にそういう目的で話しかけるのはやめてください」
男は笑いながら聞いていた。
でも、次の日も来た。
そしてある日。
ついに、店の外で待つようになった。
女の子のシフトが終わる時間。
店の前の歩道に立って、こちらを見ている。
完全におかしかった。
私は迷わず警察に電話した。
しばらくしてパトカーが来た。
警察官が男に話しかける。
しかし――
会話がまったく成立しない。
男は日本語がほとんど分からない。
警察官も外国語が話せない。
「ダメ、ダメ」
「帰ってください」
そんなレベルのやり取りだった。
結局、警察は男に警告するだけだった。
「トラブルになりますから、来ないでください」
男は「OK OK」と笑って帰っていった。
でも正直、私は確信していた。
たぶん、また来る。
そして、案の定だった。
数日後。
男は普通に店に現れた。
警察の警告など、まるで気にしていない。
私はその瞬間、決めた。
これ以上、店員を怖がらせるわけにはいかない。
次の日、私は店の入口に紙を貼った。
大きく、はっきり書いた。
「従業員にナンパ目的で接触しないで下さい」
そしてその下に、赤字で書いた。
「見つけた場合は出禁にさせていただきます」
店長、と署名もした。
そしてその日の夜。
例の男が店に来た。
入口で張り紙を見て、立ち止まる。
数秒、じっと読んでいた。
それから店に入ってきた。
私はレジの前に立った。
男が近づいてくる。
そしていつものように言った。
「LINE?」
私はその場で言った。
「あなたです」
男は首をかしげた。
私は入口を指差した。
「あの張り紙、あなたのことです」
男は振り返って張り紙を見た。
そしてもう一度、こちらを見た。
私ははっきり言った。
「今日から、あなたは出禁です」
店内の空気が一瞬止まった。
男は少し笑った。
でも、私が入口を指差したまま動かなかった。
数秒後。
男は何も言わず、店を出た。
それ以来。
あの男は二度と来ていない。
そしてその張り紙は、今も店の入口に貼ってある。
来店した客が、それを見て聞くことがある。
「これ、何があったんですか?」
私は苦笑いして答える。
「ちょっとしたトラブルです」
でも、本当の理由は一つだけだ。
店員が安心して働ける店にするため。
ただ、それだけだった。