その日、私はただ、娘に焼きそばを買っただけだった。
休日のショッピングモールは、人でごった返していた。
フードコートには油の匂いと、子どもの泣き声と、呼び出しベルの音が混ざっていた。
娘は私の手を引っ張りながら言った。
「お腹すいた。焼きそば食べたい」
私は疲れていた。
買い物袋は重いし、足も痛い。
それでも、娘が嬉しそうにメニューを指さす顔を見ると、まあいいか、と思った。
列に並び、注文した。
「お子様焼きそばを一つお願いします」
店員は無表情だった。
目も合わせない。
レジを打ち、レシートを無造作に渡してきた。
私はそのとき、何も気にしなかった。
娘に水を取って、席を探して、焼きそばを冷ましながら食べさせた。
娘は「おいしい」と笑った。
それだけで十分だった。
問題に気づいたのは、家に帰ってからだった。
財布の中を整理していたとき、あのレシートが出てきた。
何気なく見た瞬間、指が止まった。
印字された金額の上に、鉛筆のような字で何かが書かれていた。
私は目を細めた。
そして、背中がぞわっとした。
そこには、はっきりと「ブス」と書かれていた。
最初は、見間違いだと思った。
でも、何度見てもそう読める。
レシートの店名。
日時。
商品名。
その上に、雑に書かれた二文字。
まるで、私たちを値札の横に分類するみたいに。
一瞬、頭が真っ白になった。
誰が書いたのか。
いつ書いたのか。
私が受け取ったときには、もう書かれていたのか。
それとも途中で誰かが触ったのか。
考えれば考えるほど、胸の奥が冷たくなった。
娘は隣でテレビを見て笑っている。
その笑い声を聞いた瞬間、怒りが遅れて来た。
私だけなら、まだ飲み込めたかもしれない。
でも、娘が一緒だった。
子ども向けの焼きそばを買っただけの親子に、なぜこんな言葉を投げられなければならないのか。
翌日、私は店に電話した。
声は震えていた。
でも、できるだけ冷静に話した。
「昨日そちらで買い物をした者です。レシートに侮辱的な言葉が書かれていました」
電話口の店員は、最初だけ丁寧だった。
「何かの見間違いではないでしょうか」
その一言で、私の中の何かが小さく切れた。
見間違い?
私は写真を送ると言った。
数分後、電話口の空気が変わった。
「少々お待ちください」
保留音が流れた。
やけに明るい音楽だった。
こっちは全然明るくない。
しばらくして、別の男性が出た。
責任者だと言った。
「これは確かに、不適切な記載に見えます」
見えます、じゃない。
書いてある。
私はそう言いたかったが、黙って聞いた。
責任者は続けた。
「従業員に確認いたします」
その返事にも、少し引っかかった。
確認?
つまり、誰かが書いた可能性はあるということだ。
私はレシートを机の上に置き、じっと見た。
たった二文字。
でも、紙一枚で人の気分はここまで壊れる。
しかも金額は四百八十円。
安い昼食のはずだった。
なのに、後味だけは高級コース並みに重かった。
数時間後、店から連絡が来た。
責任者の声は明らかに低くなっていた。
「従業員の一人が、業務中に不要な書き込みをした可能性が高いことが分かりました」
可能性が高い。
またその言い方。
私は深呼吸した。
「その言葉を、客に渡すレシートに書いたんですよね?」
沈黙。
その沈黙が答えだった。
どうやら店員同士のふざけ合いか、客を見ての悪口か、どちらにしても最低な理由だったらしい。
しかも、それを消しもせず、確認もせず、私に渡した。
私は笑ってしまった。
怒りすぎると、人は意外と笑う。
四百八十円の焼きそばに、無料で人格否定がついてくる店。
そんなサービス、頼んでいない。
責任者は返金と謝罪を申し出た。
私は返金は断った。
焼きそばは娘が食べた。
おいしいと言っていた。
そこまで汚したくなかった。
ただ、私は一つだけお願いした。
「同じことを、次の親子にしないでください」
電話の向こうで、責任者が小さく謝った。
その声が本気だったかどうかは分からない。
でも少なくとも、私は泣き寝入りはしなかった。
レシートは今も手元にある。
見るたびに嫌な気持ちにはなる。
けれど同時に思う。
人を雑に扱う人ほど、自分の雑さを証拠として残す。
悪口を書くなら、せめて渡す前に確認する知能くらい持ってほしい。
もっとも、それができないから、レシートに本性まで印字してしまうのだろう。