出産祝いを渡して友達の家を出た日の夜だった。
家に帰って着替えようとしたとき、ふと手首を見て違和感に気づいた。
「あれ…?」
ブレスレットがない。
一瞬、頭の中が真っ白になった。
私は慌ててバッグの中を探した。
ポケットも、コートの中も、全部ひっくり返した。
でも、どこにもない。
そのブレスレットは、ただのアクセサリーじゃない。
私が子どもを出産した日、病室で夫がくれたプレゼントだった。
出産が終わって、まだ体も動かない私に、夫が小さな箱を差し出した。
「頑張ったね」
箱を開けたときのことを、私は今でも覚えている。
だから、そのブレスレットは私にとって
ただの金のアクセサリーじゃない。
子どもが生まれた日の思い出そのものだった。
そんなものが、ない。
私は急に不安になり、今日の行動を思い出した。
今日行ったのは――
出産祝いを渡しに行った友達の家だけ。
「もしかして…」
そう思いながら、もう一度家中を探した。
ソファの下まで見た。
でも、やっぱりない。
仕方なく私は友達にLINEを送った。
「ごめん、さっきそっちにいたとき
ブレスレット落としてないかな?」
数分後、返信が来た。
でも送られてきたのは文字じゃなかった。
一枚の写真だった。
そこには、友達の赤ちゃんの腕が写っていた。
そしてその腕には――
私のブレスレットがついていた。
一瞬、言葉を失った。
その直後、メッセージが届く。
「忘れ物してるよ〜!
あたちがもらっちゃうよ〜!」
赤ちゃんの口調を真似た、軽い文章だった。
私は少し戸惑いながら返信した。
「ごめん🙏
来週会うときにもらうね!」
するとすぐ、またメッセージが来た。
「え〜」
そして続けてこう書かれていた。
「もううちの子の物みたいに馴染んでるんだけどな〜笑」
その一文を見た瞬間、胸の奥がざわついた。
冗談なのは分かる。
悪気もないのかもしれない。
でも――
それは私にとって、冗談で済ませられる物じゃない。
もし壊れたら?
もし失くしたら?
色んな考えが頭の中をぐるぐる回った。
それでもその日は、
「来週会うときにもらうね」
とだけ送って、LINEを閉じた。
そして一週間後。
私はもう一度、友達の家を訪ねた。
玄関を開けると、友達はいつも通りの笑顔だった。
「久しぶり〜」
少し雑談をしてから、私は言った。
「そういえば、この前のブレスレット…」
すると友達は「あっ」と思い出したような顔をした。
そして少し困ったように笑った。
「それなんだけどさ…」
嫌な予感がした。
「ごめん、ちょっと分からなくなっちゃって」
「え?」
私は思わず聞き返した。
友達は軽い調子で続けた。
「うちの子に一回つけて、そのあと外したんだけどさ、
どこに置いたか忘れちゃって」
頭の中が一瞬で真っ白になった。
私は静かに言った。
「それ、私が出産した日に
旦那がくれたものなんだ」
友達の表情が止まった。
「え…そうなの?」
私はうなずいた。
「だから、大事なもの」
部屋の空気が少し重くなった。
さっきまで笑っていた友達の顔が、急に焦り始めた。
「ちょっと待って!
絶対どこかにあるから!」
引き出しを開ける。
テーブルの下をのぞく。
カバンの中を探す。
さっきまでの余裕は完全に消えていた。
そして数分後。
「あった!!」
友達がソファの隙間から小さな物を取り出した。
それは間違いなく、私のブレスレットだった。
私はそれを受け取った。
指先で確かめる。
壊れてはいない。
それを見て、友達が小さく笑った。
「ごめん、冗談のつもりだったんだけど」
私はブレスレットを手首につけながら言った。
「冗談でも、これはちょっと怖いかな」
友達は何も言えなかった。
さっきまで軽かった空気は、完全に消えていた。
私はバッグを持った。
帰り際、玄関で一言だけ言った。
「忘れ物って言うなら、
普通は“預かってるよ”って言うよね」
友達は小さくうなずいた。
それ以来。
私の大事な物を
「うちの子の物みたい」なんて言う人は、
私の周りから、ひとり減った。