私の血のつながった父は、私が中学二年生のとき、くも膜下出血で突然倒れました。あの日を境に、時間の流れが一度途切れたように感じたことを、今でも鮮明に覚えています。幸い一命は取り留めたものの、後遺症が残り、以前のように働くことは難しくなりました。現在は作業所に通い、できる範囲の仕事を続けています。
私は大人になり、家庭を持ち、息子にも恵まれました。それでも父の前に立つと、どこか胸が落ち着きません。親孝行らしいことを何一つできていないという負い目が、言葉にできない重さで付きまとっていたからです。だからこそ、せめて孫の顔だけでも見せたい。その一心で、息子の手を引き、父に会いに行きました。
父の部屋に入ると、息子は少し緊張しながらも「こんにちは」と頭を下げました。父はゆっくりと視線を上げ、次の瞬間、表情がほどけるように明るくなりました。言葉は多くありませんでしたが、その笑顔だけで十分でした。私の胸の奥で、長い間固まっていた何かが、静かに溶けていくのを感じました。
しばらく話した帰り際、父が「お祝いだ」と短く言って、分厚い封筒を差し出しました。
重みのある封筒を手に取った瞬間、私は思わず「こんなに…」と声を詰まらせました。父は照れたように笑い、まるで当然のことのように手を引っ込めただけでした。
後から聞いた話で、私は言葉を失いました。父は作業所の給料から、毎月千円ずつ、こつこつと貯めてくれていたそうです。千円という額は小さく見えるかもしれません。しかし、体調の波もあり、できる仕事にも限りがある父にとって、その千円は決して軽いものではないはずです。それを何年も続け、私たちのために積み重ね、惜しげもなく笑顔で差し出した――その事実が、胸の奥に強く刺さりました。

私は封筒を抱えたまま、視界がにじんでいくのを止められませんでした。情けないほど涙が溢れて、顔を上げられなかったのです。「もったいなくて使えない」と口にすると、父はただ「使え」とだけ言いました。
その短い一言の裏に、父なりの誇りと、家族への願いが詰まっている気がしました。
親孝行ができていないのは、私のほうです。それなのに父は、できる限りの力で、私と息子の未来を支えようとしてくれていた。封筒の厚みは、お金の量ではなく、父が積み上げた時間と覚悟の重さでした。
帰り道、息子が無邪気に「おじいちゃん、優しかったね」と言いました。私は頷きながら、心の中で強く誓いました。孫を立派に育てる。父が安心して笑えるように、家族としての時間を増やす。そして何より、父には長生きしてほしい。
あの笑顔が、これから先も続くように。
「長生きしてね」――声に出せば簡単な言葉です。しかし私にとっては、あの分厚い封筒を受け取った日から、最も重く、最も切実な願いになりました。