「退職して2週間。離職票がまだ届かない。」
最初は、ただの遅れだと思っていた。
でも失業保険の手続きには離職票が必要だ。
退職した人間にとって、これは生活に直結する書類だ。
さすがに気になって、人事に電話した。
「すみません、離職票なんですが…」
電話の向こうでキーボードを叩く音が少しして、
人事はあっさり言った。
「ああ、まだ処理してないですね。」
一瞬、言葉が出なかった。
「退職してもう2週間なんですが」
私はできるだけ落ち着いた声で言った。
「失業保険の手続きがあるので、離職票が必要なんです。」
すると人事は、面倒くさそうにこう言った。
「忙しいんで。」
その言い方に、胸の奥が少し冷えた。
私は言った。
「法律では、10日以内に発行することになっていますよね?」
電話の向こうで、少し沈黙があった。
そして人事は、ため息まじりに言った。
「うちはうちのやり方だから。
」
その一言で、何かがすっと冷めた。
ああ、この会社は最後までこうなんだな、と。
在職中もよく聞いた言葉だった。
「会社のやり方」
「うちのルール」
法律よりも、常識よりも、
とにかく“会社のやり方”。
私はそれ以上何も言わなかった。
「分かりました。待ちます。」
そう言って電話を切った。
でも――
待っても、何も変わらなかった。
1週間。
2週間。
そして、
1ヶ月経った。
離職票は届かなかった。
さすがにおかしいと思い、私はハローワークに行った。
窓口で事情を説明した。
「退職して1ヶ月なんですが、離職票が届かなくて…」
担当の人は少し驚いた顔をした。
「1ヶ月ですか?」
私はうなずいた。
「人事に聞いたら、“忙しいから”って言われました。」
そして、あの言葉も伝えた。
「“うちはうちのやり方だから”って。」
担当の人は苦笑した。
「それはちょっと問題ですね。
」
パソコンで何かを確認してから、
静かに言った。
「会社に指導を入れます。」
それだけだった。
怒鳴り合いもない。
大げさなこともない。
ただ、
「指導を入れます。」
それだけ。
翌日。
ポストに一通の封筒が入っていた。
差出人は、元の会社。
嫌な予感がした。
封を開けると、
離職票だった。
昨日まで「忙しいんで」と言っていた会社が、
ハローワークから指導が入った翌日に発送してきた。
つまり――
やろうと思えば、
一日でできた仕事だった。
私は思わず笑ってしまった。
昨日まで忙しかったんじゃないの?
会社のやり方じゃなかったの?
結局、できるんじゃないか。
最初からやればいいのに。
それから数週間後。
元同僚から連絡が来た。
「あの会社、今ちょっと大変らしいよ。」
どうやら退職者への手続き遅延が何件もあったらしく、
内部の話がネットに書き込まれていたらしい。
「離職票を出さない会社」
「ブラック企業」
そんな言葉と一緒に、会社の話が広がっていた。
求人も出しているらしいけど、
応募はほとんど来ないらしい。
面接の約束をしても、当日来ない人も多いとか。
元同僚は苦笑して言った。
「最近、人事が電話しても全然つながらないってさ。」
どうやら、会社の番号が
ネットで“注意会社”として拡散されたらしい。
私はスマホを置いた。
もう関係ない会社だ。
ただ一つ思った。
あの時、人事が言った言葉。
「うちはうちのやり方だから。」
その“やり方”の結果が、
今なんだろう。
会社のやり方は自由だ。
でも――
社会は、それをちゃんと見ている。
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