「優しいおばあちゃんの後ろにいたもの」
近所には、子供好きで有名なおばあちゃんがいた。
いつもニコニコしていて、会えば飴をくれたり、学校の話を聞いてくれたりする。
親たちもみんな知っていて、
「何かあったらあのおばあちゃんのところへ行きなさい」
と言うほどだった。
だから僕も、おばあちゃんのことが好きだった。
小学四年生の夏までは。
その日も、学校帰りだった。
蝉の声がうるさいくらい響く午後。
僕が一人で歩いていると、おばあちゃんが道端で手を振った。
「○○ちゃん!」
振り向くと、おばあちゃんは笑顔だった。
「甘いイチゴがあるの。一緒に食べましょう?」
そう言いながら手を差し伸べてきた。
いつもなら喜んでついて行ったと思う。
でも、その日は違った。
僕の視線は、おばあちゃんではなく――
おばあちゃんの後ろにある古い一軒家に向いていた。
その家は空き家だった。
何年も前から誰も住んでいない。
窓ガラスは割れ、
庭は雑草だらけ。
近所でも有名な廃屋だった。
なのに。
二階の窓に、
誰かが立っていた。
真っ黒な人影。
男か女かも分からない。
ただ異様に細長く、
首だけが不自然に傾いている。
その影は、
窓の向こうからじっと僕を見ていた。
嫌な汗が流れた。
でも次の瞬間、
もっと恐ろしいことに気づいた。
その影が、
おばあちゃんを見ていたのではない。
おばあちゃんの肩越しに、
僕だけを見ていたのだ。
僕は咄嗟に言った。
「ご、ごめんなさい!今日は帰る!」
そして手を振りほどくように走り出した。
後ろからおばあちゃんの声が聞こえた。
「待って!」
でも振り返らなかった。
家まで全力で走った。
その夜。
夕飯の時に母へ話した。
すると母の箸が止まった。
「どこの家?」
説明すると、
母の顔色が変わった。
「そこには近づいちゃ駄目」
珍しく強い口調だった。
理由を聞いても教えてくれない。
ただ、
「あの家だけは見ないで」
と言われた。
数日後。
僕は友達から衝撃の話を聞く。
「あのおばあちゃん、先月亡くなったらしいよ」
最初は冗談だと思った。
だって数日前に会ったばかりだから。
でも本当だった。
回覧板にも載っていた。
近所の人もみんな知っていた。
おばあちゃんは一か月前、
病院で息を引き取っていた。
頭が真っ白になった。
じゃあ、
あの日、
僕にイチゴを勧めたのは誰だったんだ。
その答えを知ったのは数年後だった。
高校生になったある日、
祖母が酒の席で話してくれた。
あの空き家では昔、
一家心中が起きていた。
最後まで生き残った幼い娘が、
「おばあちゃん助けて」
と泣き続けながら亡くなったという。
そして近所で唯一、
毎日花を供えていたのが、
あのおばあちゃんだった。
祖母は最後にこう言った。
「亡くなる前、おばあちゃんね」
少し黙った。
そして小さく続けた。
「ずっと言ってたのよ」
『あの子が寂しそうだから、迎えに行かなきゃ』
それから二度と、
あの家には近づいていない。
けれど今でも思い出す。
あの日、
おばあちゃんが差し出した手。
そして、
二階の窓からこちらを見ていた黒い影。
もしあの時、
僕があの手を取っていたら――
本当に食べたのは、
イチゴだけだったのだろうか。
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