「女性専用車両の座席に、スーツ姿の男が堂々と座っていた。」
朝の通勤ラッシュ。
車内は立っている人でいっぱいだった。
でも、その男だけは座席の真ん中に座り、腕を組んでいた。
ここは女性専用車両。
誰が見ても分かる場所だ。
ただ――
正直に言うと、
誰もその席を欲しがっていたわけじゃなかった。
私の前に立っていた女性も、
スマホを見ながら普通に立っている。
疲れている人もいるけれど、
「席を譲ってほしい」という空気ではない。
ただ一つ。
みんな思っていた。
「なんでこの人ここにいるんだろう?」
そんな空気だった。
男はしばらく黙っていた。
でも、突然、口を開いた。
「女性専用車両ってさ」
誰に向けたわけでもない声。
でも、わざと聞こえる声だった。
「これ、差別じゃない?」
何人かが顔を上げる。
男は続けた。
「男女平等って言ってるのにさ」
「男はダメっておかしくない?」
車内の空気が少し変わる。
誰も答えない。
すると男は、さらに言った。
「じゃあさ」
ニヤッと笑う。
「男が女子トイレ使ってもいいってこと?」
その瞬間だった。
車内の空気が、はっきり変わった。
さっきまで
「変な人だな」くらいだった空気が、
一気にざわつき始めた。
後ろから小さな声が聞こえる。
「…何あの人」
別の女性が言う。
「わざとでしょ」
男はそれを聞いて、満足そうに笑う。
「ほら」
「誰も説明できないでしょ?」
まるで討論でもしているかのようだった。
でも、ここは討論会じゃない。
ただの通勤電車だ。
私は何も言うつもりはなかった。
でも、隣の女性がぽつりと言った。
「別に席欲しいわけじゃないんですけど」
男が顔を向ける。
女性は続けた。
「ただ…」
少し困った顔をして言う。
「ずっとそういう話されると、ちょっと…」
男はすぐに笑った。
「ほら」
「嫌なんでしょ?」
「だったら理由言ってよ」
今度は後ろから声が飛んだ。
「いや、そういう話じゃないでしょ」
別の女性だった。
「ここ女性専用車両だから」
男は肩をすくめる。
「法律違反?」
誰も答えない。
男はさらに言う。
「ほらね」
「説明できない」
さっきまで静かだった車内が、
少しずつざわつき始める。
「さっきから何なの」
「わざとだよね」
「朝からうるさい」
男は逆に楽しそうだった。
「ほらほら」
「民意ってやつ?」
その時だった。
車内アナウンスが流れた。
「女性専用車両をご利用のお客様へ」
「本車両は平日朝の時間帯、女性専用車両となっております」
ざわっと空気が動く。
男は鼻で笑う。
「お願いでしょ?」
「法律じゃない」
その瞬間。
後ろの方から声が上がった。
「じゃあ降りてください」
一人だった。
でも、それで終わらなかった。
「そうですよ」
「ここ女性専用なんだから」
「わざわざ来て挑発しなくても」
「朝からうるさい」
さっきまで静かだった車内から、
次々に声が上がる。
男の表情が少し変わる。
「いやいや」
「法律的に――」
そこへ、次の駅でドアが開いた。
制服の駅員が入ってくる。
「失礼します」
周囲の女性たちが一斉に言った。
「あの人です」
「あそこ」
駅員が男の前に立つ。
「お客様」
「こちら女性専用車両になりますので、移動をお願いできますでしょうか」
男は言った。
「法律違反じゃないですよね?」
駅員は落ち着いた声で答えた。
「はい。法律ではありません」
男が少し笑う。
その瞬間、駅員は続けた。
「ですが、お願いに従っていただけない場合、降車していただくことになります」
車内が静まる。
男は周りを見る。
さっきまで黙っていた女性たちが、
全員こちらを見ていた。
その視線は、
さっきとは全く違っていた。
完全に民意が敵になった空気だった。
男は舌打ちした。
「…めんどくさいな」
立ち上がる。
駅員に誘導され、
そのままホームへ降ろされた。
ドアが閉まる。
電車が動き出す。
しばらく沈黙。
そのあと、誰かが小さく言った。
「席欲しかったわけじゃないんだけどね」
車内に、
くすっと笑いが広がった。
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