新幹線に座った瞬間、隣の男の裸足が私の膝に触れた。
思わず視線を下げる。
窓の下の小さな棚に、男の足が乗っていた。
しかも――
足の裏が、完全にこちらを向いている。
一瞬、状況が理解できなかった。
「……え?」
足の指がゆっくり動いた。
そして、私の膝にまた触れた。
偶然じゃない。
明らかに触れている。
私は小さく息を吸って言った。
「すみません、足当たってます」
男は一瞬だけこちらを見た。
面倒くさそうな顔だった。
「……ああ」
そう言って足を引いた。
私は内心ほっとする。
新幹線は満席で、これから二時間以上はこの席に座る予定だった。
でも――
三十秒後。
また、足が窓の棚に乗った。
今度は、さっきより大きく。
足の裏がこちらを向き、
そしてゆっくりと動いた。
膝に触れる。
完全にわざとだった。
私はもう一度言った。
「やめてください」
男は笑った。
「触ってねぇだろ」
そしてさらに足を伸ばす。
さっきよりも大胆に。
足の裏が、私の膝のすぐ前まで来た。
その時だった。
後ろの席から声がした。
「それくらいで騒ぐ?」
別の声。
「若い子ってすぐ騒ぐよね」
私は一瞬、言葉を失った。
え?
さっきまで、
ただ隣の男の足が当たっているだけだったはずなのに、
いつの間にか、
私が“神経質な人”みたいになっている。
男はその空気を楽しんでいるようだった。
ニヤッと笑う。
そしてまた、足を動かした。
膝に触れる。
私は、静かに言った。
「くさいんですけど」
その瞬間だった。
車内が、ぴたりと静まった。
さっきまで聞こえていた
スマホの動画の音や、会話が、急に遠くなる。
男の顔が変わった。
「……は?」
私はもう一度言った。
「臭いんです」
男は立ち上がった。
「おい」
声が低くなる。
「公共の場で騒ぐなよ」
そう言いながら、
私の席の横に立った。
通路を塞ぐ形になる。
完全に挑発だった。
周りの人も黙っている。
誰も助けない。
男は私を見下ろして言った。
「お前さ、態度悪くね?」
その時だった。
後ろの席で、
椅子がゆっくり動く音がした。
ギシッ。
車内の空気が変わる。
私は振り向かなくてもわかった。
父だった。
ゆっくりと立ち上がる。
父は身長185センチ、体重は100キロ近い。
昔ラグビーをやっていた人で、
今でも肩幅がとんでもなく広い。
父が通路に出ると、
さっきまで強気だった男の背中が、少しだけ固くなった。
父は何も言わず、
男の前に立った。
それだけで、車内が静まり返る。
男が言う。
「……なんですか」
父は男の顔を見た。
それから、
ゆっくりと足元を見た。
そして一言だけ言った。
「足、どけろ」
それだけだった。
大声でもない。
怒鳴ってもいない。
ただの一言。
でもその声は、
妙に低くて、静かだった。
男の顔が一瞬固まる。
数秒の沈黙。
そして男は、
ゆっくり席に座った。
足を下ろす。
さらに、
靴を履いた。
誰も何も言わない。
さっきまで
「若い子ってすぐ騒ぐよね」と言っていた人も、
完全に黙っていた。
父は私をちらっと見て言った。
「最初から呼べ」
それだけ言うと、
何事もなかったように席に戻った。
その後。
男は一度も足を動かさなかった。
二時間の移動の間、
ずっと背筋を伸ばして座っていた。
窓の棚には、
何も乗っていなかった。
引用元:,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]