レンタカーを返却した時のことだった。
手続き自体はスムーズで、
「これで終わりかな」と思っていた、その時。
スタッフが車のボディを指差して言った。
「こちら、傷がございますので、修理費をご請求させていただきます」
私は一瞬、何を言われているのか分からなかった。
「え?どこですか?」
近づいて見せられたのは、
指で示されても一瞬見失うレベルの小さな点。
本当に、よく見ないと分からないほどの極小の飛び石跡だった。
「……これですか?」
思わず聞き返す。
「はい。こちらが2箇所ございますので、合計で88,000円になります」
――88,000円?
一瞬、耳を疑った。
「いや、ちょっと待ってください。これ、運転中に気づくレベルじゃないですよね?」
「高速走ってたら普通にできるレベルじゃ…」
しかしスタッフは淡々と答えた。
「申し訳ございません。規定に基づいた請求となります」
私は食い下がった。
「保険、入ってますよね?」
すると、返ってきた言葉は予想外だった。
「はい。ただし、今回は無申告での返却となっておりますので、適用外となります」
「……は?」
頭の中が一瞬、真っ白になった。
「いや、無申告って……こんなの気づけるわけないですよね?」
「そもそも、これ本当に今回のものなんですか?」
その言葉に、スタッフの表情がわずかに固くなる。
「返却時に確認された傷につきましては、お客様のご利用によるものとして扱われます」
――つまり、“証明できないなら全部こちらの責任”ということだ。
「納得できません」
私ははっきり言った。
「こんな小さい傷、最初からあった可能性だってありますよね?」
「借りる時に全部チェックしてるわけじゃないし…」
だがスタッフは一歩も引かない。
「ご不満がある場合は、後日対応も可能ですが、本日はお支払いをお願いしております」
静かだが、圧のある言い方だった。
周りには他の客もいる。
時間も押している。
そして何より――
この場で揉めても埒があかない空気。
私は一瞬、迷った。
このまま突っぱねるか。
それとも、一旦飲むか。
そして、結局。
「……分かりました」
そう言って、私は5万円を支払った。
本来の請求額よりは減額されたが、
それでも納得したわけではない。
むしろ――
モヤモヤだけが残った。
その場を離れてから、ずっと引っかかっていた。
「あれ、本当に払う必要あったのか?」
帰宅後、改めて写真を見返した。
やっぱりどう見ても、
普通に運転していて気づける傷じゃない。
そしてネットで調べてみて、さらに違和感が強くなった。
飛び石は、場合によっては不可抗力扱いになることもある。
しかも同じように、
「返却後に細かい傷を指摘されて請求された」
という話が、いくつも出てきた。
そこで、はっきり思った。
これはおかしい。
翌日、私は問い合わせ窓口に連絡した。
「昨日の請求についてなんですが、納得できない点があります」
電話口の相手は事務的に対応する。
「詳細を確認いたしますので、お待ちください」
私は、昨日のやり取りをすべて伝えた。
・傷が極小であること
・運転中に気づけないレベルであること
・元からあった可能性があること
・その場の圧で支払ってしまったこと
そして最後に、はっきり言った。
「正直、納得して支払ったわけではありません」
少しの沈黙のあと、相手は言った。
「一度、社内で確認の上、折り返しご連絡いたします」
電話を切った後、私は深く息を吐いた。
あの場では、押し切られた。
でも――
このまま終わらせるつもりはない。
冷静に考えれば、
おかしいことはいくつもある。
ルールだと言われても、
それがすべて正しいとは限らない。
私はスマホを握りながら、思った。
黙って払えば、それで終わり。
でも、声を上げれば変わるかもしれない。
少なくとも――
「何も言わない客」では、もういない。