ビジネスホテルに着いたのは、夜の九時を少し回った頃だった。
出張帰りで、肩は重い。
足もだるい。
もう何も考えたくなかった。
フロントでカードキーを受け取り、部屋に入る。
狭いけれど、清潔そうな部屋。
白いベッド。
木目調の壁。
小さな机。
「ああ、今日はもう寝るだけだ」
そう思った。
荷物を置き、上着を脱ぎ、スマホを充電しようとしてベッド横のコンセントを探した。
その時だった。
壁の下の方から、黒い電源コードが伸びているのが見えた。
最初は、備え付けのライトかと思った。
ホテルにはよく分からない配線がある。
そういうものだ。
でも、そのコードはライトではなく、ベッドの下へ消えていた。
私は少しだけ眉をひそめた。
「何これ」
気にしなければいい。
そう思った。
疲れている。
明日も早い。
でも、一度気になったものは、もう無理だった。
私はしゃがみ込み、ベッド下をのぞいた。
暗い。
スマホのライトをつける。
すると、奥の方に白い箱のような機械が見えた。
緑と赤の小さなランプが光っている。
コードも何本か出ている。
ホテルの部屋にあるには、妙に存在感がある。
私は一気に眠気が飛んだ。
「いや、何の機械?」
空気が急に変わった。
さっきまでただのビジネスホテルだった部屋が、急に知らない実験室みたいに見え始めた。
私はさらに気になって、ベッドの下を確認した。
コードはそこで終わっていなかった。
マットレスの下へ続いている。
恐る恐るマットレスの端を持ち上げる。
すると、そこにセンサーらしきものが取り付けられていた。
薄い板のようなもの。
配線。
そして、さっきの白い機械。
私は固まった。
ベッド。
マットレス。
センサー。
電源。
この四つの単語が並ぶと、どうしても良い想像にならない。
監視?
睡眠測定?
何かの設備?
いや、せめて説明書を置いておいてくれ。
こちらは疲れた会社員であって、謎解き宿泊体験を予約した覚えはない。
私は部屋を見回した。
天井。
壁。
テレビ周り。
変なものがないか確認してしまう。
一度不安になると、人間の想像力は厄介だ。
ただの空調の音まで怪しく聞こえる。
冷蔵庫の低い振動も、何かの作動音に思えてくる。
私はフロントに電話した。
できるだけ落ち着いた声で言った。
「ベッドの下に、電源につながった機械があるんですが、これは何でしょうか」
電話口の人は、一瞬黙った。
その沈黙が、一番怖かった。
「確認いたしますので、少々お待ちください」
保留音が流れた。
明るいメロディだった。
こっちは全然明るくない。
数分後、スタッフの方が部屋に来た。
私がベッドの下を指さすと、その人もしゃがみ込んだ。
ライトで照らす。
表情が少し固まる。
「こちら、設備関係のものかと思われます」
かと思われます。
その言い方で、こちらの不安は一ミリも減らなかった。
設備関係とは便利な言葉だ。
エアコンも設備。
冷蔵庫も設備。
マットレス下の謎センサーも設備。
全部まとめれば、確かに設備だ。
私は聞いた。
「宿泊者に分かる説明はありますか?」
スタッフの方は申し訳なさそうに首を振った。
その時点で、私はその部屋で眠る気がほとんど消えていた。
結局、別の部屋に替えてもらうことになった。
スタッフの対応は丁寧だった。
そこに文句はない。
ただ、問題はそこではない。
ホテルの部屋で、ベッドの下にランプの光る機械を見つけた瞬間、人はもう普通には寝られない。
たとえそれが安全なものでも、必要な設備でも、説明がなければ不気味なだけだ。
新しい部屋に移ったあとも、私はまずベッドの下をのぞいた。
完全に癖になっていた。
出張先で身につけたくない新習慣である。
何もなかったので、ようやく少し安心した。
でも、さっきの機械の光景は頭から離れなかった。
ホテルに求めているものは多くない。
清潔なベッド。
使えるコンセント。
静かな部屋。
できれば、マットレスの下に説明不明のセンサーがないこと。
これくらいだ。
翌朝、チェックアウトの時にもう一度確認したが、はっきりした答えはその場では出なかった。
後日確認するとのことだった。
私はうなずくしかなかった。
まあ、ホテル側にも事情はあるのだろう。
設備管理かもしれない。
ベッドの状態を確認するためのものかもしれない。
でも、宿泊者から見れば、ベッド下で光る謎の箱である。
その差は大きい。
今回の件で学んだ。
ビジネスホテルに入ったら、まずWi-Fiの確認。
次にコンセント。
そして最後に、ベッドの下。
まさか寝る前に、枕の硬さより配線の行き先を気にする日が来るとは思わなかった。
ホテルのアメニティ欄に、今度からこう書いてほしい。
歯ブラシあり。
スリッパあり。
謎センサー、説明あり。
それなら少なくとも、こっちも心の準備をして泊まれる。