深夜二時四分。
店の蛍光灯だけが、やけに白く光っていた。
外は静かだった。
終電もとっくに終わり、通りを歩く人もまばら。
うちみたいな店に来るのは、仕事帰りの人か、飲んだ後の人か、どうしても今この味が欲しくなった人くらいだ。
私は厨房の奥で片づけをしながら、あと少しで今日も終わると思っていた。
そこへ、一人の客が入ってきた。
注文は、ゴマ味噌冷やし麺と半チャーハン。
深夜にしては、なかなかしっかり食べるなと思った。
会計を済ませ、レシートも発行した。
商品を渡す。
客はそれを持って店を出た。
ここまでは、何もおかしくなかった。
問題は、一時間後だった。
ドアが開き、さっきの客が戻ってきた。
手には、持ち帰ったゴマ味噌冷やし麺。
表情は、最初から文句を言うために作られたような顔だった。
「麺が固まってるんだけど」
私は一瞬、言葉を失った。
そりゃそうだ。
一時間経てば、麺は固まる。
冷やし麺でも、時間が経てばほぐれにくくなる。
持ち帰り商品とは、そういうものだ。
特に深夜。
すぐ食べる前提で渡している。
一時間後に戻ってきて、「麺が固まっている」と言われても、こちらとしては物理法則に逆らえない。
私はできるだけ丁寧に説明した。
「お持ち帰り後、お時間が経つと麺が固まりやすくなります」
すると、その客は急に声を荒げた。
「そんなの知らない」
「食べられないものを売るな」
「返金しろ」
店内の空気が、一気に重くなった。
他のお客様がいなかったのが、せめてもの救いだった。
私は怒りを飲み込み、対応した。
深夜の店では、余計なトラブルを大きくしないことも仕事の一部だ。
言いたいことは山ほどあった。
でも、まずはその場を収める。
そう考えた。
しかし、さらに三時間後。
またドアが開いた。
今度は、半チャーハンを持っている。
私はもう、嫌な予感しかしなかった。
「これも返品」
さすがに、頭の中で何かが切れかけた。
三時間後の半チャーハン。
それはもう、料理ではなく時間との戦いに負けた米である。
持って帰った食品を、三時間後に戻されても困る。
しかも、態度はさらにひどくなっていた。
高圧的な言い方。
見下すような視線。
こちらを店員ではなく、怒りをぶつけるための壁だと思っているような話し方。
私はその瞬間、はっきり思った。
これはもう、普通のクレームではない。
食べ物の問題ではない。
この人は、店を自分の都合で振り回していい場所だと思っている。
私たちは人間だ。
深夜に働いている。
眠い日もある。
疲れている日もある。
それでも、きちんと商品を作り、レジを打ち、対応している。
なのに、一時間後の麺、三時間後の半チャーハンを持ってきて、当然のように文句を言われる。
しかも高圧的に。
正直、精神的にかなり削られた。
家に帰っても、声が耳に残っていた。
あの言い方。
あの態度。
何度も思い出して、眠れなかった。
たかが接客。
そう言う人もいるかもしれない。
でも、たかがではない。
一人の非常識な客が、店員の一日を台無しにすることはある。
心を削ることもある。
だから店長として、私は決めた。
この人は出入り禁止。
今後、一切の入店を断る。
もし入店した場合は、警察を呼んで退店してもらう。
防犯カメラにも顔と服装は記録されている。
そこまで書いた貼り紙を出した。
大げさだと思う人もいるかもしれない。
でも、私はそうは思わない。
店は、何でも受け止めるサンドバッグではない。
お客様は大切だ。
でも、店員を傷つけていい権利までは売っていない。
料理を買ったからといって、相手の人格まで買えるわけではない。
ゴマ味噌冷やし麺は、すぐ食べるものだ。
半チャーハンも、三時間後に審査されるための商品ではない。
そして、店員はあなたの怒鳴り声を浴びるために深夜働いているわけではない。
今回の件で、はっきり分かった。
一部の客に遠慮し続けると、真面目に働く従業員が壊れる。
普通に利用してくれるお客様のためにも、線引きは必要だ。
出禁。
この言葉は強い。
でも、必要な時は必要だ。
私は貼り紙を見ながら、少しだけ息を吐いた。
本当なら、こんな文章は書きたくない。
商品を作って、普通に渡して、普通に食べてもらえればそれでいい。
でも、それが通じない人には、店側もはっきり言うしかない。
麺が固まったのは時間のせい。
半チャーハンが戻ってきたのは三時間後。
そして出禁になったのは、自分の態度のせいだ。
そこだけは、ぜひ固まった麺よりしっかり理解してほしい。