店の掲示板の前で、私は思わず足を止めた。
何気なく見ただけだった。
買い物ついでに、入口横のコルクボードをぼんやり眺めただけ。
そこには、よくある「お客様の声」が貼られていた。
品揃えへの要望。
接客への感謝。
たまにある謎の苦情。
スーパーやドラッグストアに置いてある、あの平和そうで時々地雷原みたいなコーナーだ。
私はこういう掲示板がけっこう好きだ。
人間の本音が、妙に生々しく出る。
丁寧な字で書かれた無茶な要求。
怒っているのに敬語だけは保っている文面。
そして、それに対する店側の必死の返答。
小さな社会の縮図である。
その日、私が見つけた一枚も、まさにそれだった。
上の欄には、お客様の意見が書かれていた。
「ルートビアを入荷するぐらいならチェリーコークを入れたらいい!!」
私は一瞬、声を出しそうになった。
命令。
強い。
やたら強い。
なぜ飲み物の要望で、ここまで戦闘力を出せるのか。
ルートビアが何をしたというのか。
確かに、ルートビアは好き嫌いが分かれる。
湿布みたいな味と言う人もいる。
飲むサロンパスと呼ぶ人すらいる。
でも、だからといって、そんなに怒らなくてもいい。
店も別に、客の家の冷蔵庫にルートビアを詰め込んでいるわけではない。
置いてあるだけだ。
選ばなければいい。
それなのに、この文面。
「入荷するぐらいなら」
「入れたらいい!!」
チェリーコークへの愛が強いのか。
ルートビアへの憎しみが深いのか。
どちらにしても、飲料コーナーに背負わせる感情ではない。
私は苦笑しながら、下の欄を読んだ。
店からの返答だった。
そこに、私は完全にやられた。
「命令形でのご意見ありがとうございます。」
まず、この一文で膝が崩れそうになった。
丁寧。
丁寧なのに、刃がある。
「ご意見ありがとうございます」と言いながら、「命令形」ときっちり刺している。
逃がさない。
相手の文体を、正面から回収している。
私はすでに笑いをこらえるのに必死だった。
しかし、本番はその次だった。
「私のMな部分がゾクゾクしましたので、次回もルートビアにしてみたいと思います。」
私は負けた。
完全に負けた。
店員、強い。
できる。
ただ謝らない。
ただ従わない。
怒らない。
でも、絶対に屈しない。
しかも、相手の命令口調を「Mな部分がゾクゾクしました」と受け止めた上で、結論は真逆。
次回もルートビア。
これほど美しいカウンターがあるだろうか。
客はチェリーコークを要求した。
店は感謝した。
そして、ルートビアを続投させた。
完璧な打ち返しだった。
私は掲示板の前で、ひとりで肩を震わせた。
隣を通ったおばさんが、少し不思議そうにこちらを見た。
違うんです。
私は怪しい者ではありません。
ただ、今、店員さんの文章力に殴られているだけです。
考えてみれば、店員さんも大変だ。
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