客の悪口は、できれば言いたくない。
こっちも商売だ。
いろんな人が乗る。
急いでいる人。
機嫌の悪い人。
無口な人。
行き先をなかなか言わない人。
それでも、こちらはハンドルを握って、淡々と目的地まで送る。
それが仕事だ。
二十六年、苦情なしでやってきた。
余計なことを言わない。
腹が立っても飲み込む。
金にならないトラブルは避ける。
それが、個人タクシーで食っていくための私なりのルールだった。
その日、私は某駅のタクシー乗り場の先頭で待機していた。
列にいるのは私一台だけ。
後ろにタクシーはいない。
駅前は少し静かで、人の流れもまばらだった。
しばらくすると、前方からカートを押したおばあさんと、娘さんらしき女性が歩いてきた。
二人はこちらを見て、何か話している。
女性が私の車を指さす。
おばあさんは首を少し傾げる。
私はすぐに察した。
「ジャパンタクシーに乗りたいのかな」
最近は、足腰の悪い人や荷物の多い人は、ああいう背の高い車を好む。
分かる。
私の車は昔ながらのセダンタイプだ。
乗り降りしにくいと言われれば、それも分かる。
だから、二人が少し離れた場所で待っていても、私は特に何も言わなかった。
次のタクシーが来るまで待つつもりなのだろう。
そう思っていた。
ところが、五分ほど経っても後続のタクシーは来ない。
客も来ない。
駅前の時間だけが、やけにゆっくり流れていた。
やがて痺れを切らしたのか、二人が私の車の横へ来た。
私はすぐにドアを開けた。
カートをトランクに積むために外へ出る。
その瞬間だった。
娘さんが、おばあさんに小さく言った。
「お母さん、コレしか無いのよ」
コレ。
私は一瞬、耳を疑った。
タクシーではなく、コレ。
その言い方に、まず小さく刺された。
そして次に、おばあさんが言った。
「こんな車イヤだ」
カチン、ときた。
いや、来るだろう。
こっちはわざわざ車を降りて、荷物を積もうとしている。
乗る前から、車を見下される筋合いはない。
嫌なら乗らなくていい。
本当に、それだけの話だ。
喉まで出かかった。
けれど、私は飲み込んだ。
ここで言えば、ただのケンカになる。
こちらが正しくても、駅前で揉めればこちらの負けだ。
そこへ、さらに別の爺さんが現れた。
どこから来たのか知らない。
まるで舞台の追加キャストみたいに、横から割って入ってきた。
「あんたたち、タクシーに乗らんのかね?」
おばあさんが答える。
「この車、イヤなの」
爺さんは、なぜか勝手に納得した顔で私の車を見た。
「個人タクシーがイヤなのか? わしも個タクは嫌いだけど、可哀想だから乗ってやるんだよ」
可哀想。
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが静かに倒れた。
可哀想なのは、今からあなたを乗せる私の方ではないのか。
だいたい、おばあさんは個人タクシーが嫌だとは一言も言っていない。
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