その日、私は完全に浮かれていた。
配信でBBQをやろうと思っていた。
ただ焼くだけじゃつまらない。
どうせなら、ちょっといい肉を買って、画面の向こうのみんなに見せびらかしながら焼こう。
「うわ、うまそう」
「飯テロやめろ」
そんなコメントが流れるところまで、頭の中で再生済みだった。
だから私は、いつもより少し高い肉を二パック買った。
味付け焼肉。
もう一つは、見るからに脂がうまそうなやつ。
パックを手に取った時点で、勝利を確信した。
今日は優勝。
これを焼けば、配信は盛り上がる。
私の胃袋も盛り上がる。
完璧な計画だった。
店を出て、自転車のカゴに肉を入れた。
炭もある。
道具もある。
あとは飲み物だけ。
暑かったし、BBQにはドリンクが必要だ。
私は近くの自販機に向かった。
ほんの少しの距離だった。
本当に、ほんの少し。
肉から目を離した時間は、たぶん一分か二分。
自販機の前で、何を買うか迷った。
炭酸にするか。
お茶にするか。
配信用にちょっと映える飲み物にするか。
今思えば、その迷いが命取りだった。
ガコン、とペットボトルが落ちる音。
私はそれを拾い、軽い足取りで自転車へ戻った。
その瞬間、空気が変わった。
カゴの中が、妙に白い。
さっきまでそこにあったはずの肉の赤みがない。
近づく。
心臓が嫌な跳ね方をした。
肉のパックが、開いていた。
いや、開いていたというより、襲撃後だった。
ラップは破られ、肉はほとんど消えている。
残っているのは、端っこの小さな一切れと、タレの跡。
スパイスの粒だけが、事件現場みたいに散らばっていた。
私はしばらく立ち尽くした。
「え?」
声が出た。
誰も答えない。
自転車のカゴには、空になった高級肉の容器。
手には、今買ったばかりの飲み物。
そして私の頭の中には、さっきまでの配信計画が音を立てて崩れていた。
周囲を見る。
犯人はいない。
ただ、少し離れたところに、黒い影が動いた気がした。
カラスか。
猫か。
それとも、肉だけを狙う通りすがりのプロか。
正体は分からない。
でも、仕事が早すぎる。
私は自販機で飲み物を買っただけだ。
その間に、二パックの高級肉をほぼ食べるとは何事か。
しかも、安い部分からではない。
うまそうなところをちゃんと持っていっている。
犯人、肉を見る目だけは確かだった。
私はパックを持ち上げた。
軽い。
あまりにも軽い。
さっきまでの重量感はどこへ行ったのか。
あの肉は、配信で焼かれる予定だった。
炭火でじゅうじゅう音を立てる予定だった。
コメント欄を沸かせる予定だった。
それが今、誰かの胃袋で先行配信されている。
しかも無断で。
私は思わず叫びそうになった。
「返してくりー!」
もちろん、返ってこない。
食べられた肉は戻らない。
人生の真理である。
その場で怒るより先に、なんだか笑えてきた。
肉を買った。
飲み物を買った。
戻ったら肉が消えていた。
話としてはシンプルすぎる。
でも、被害額と精神的ダメージはまったくシンプルではない。
高級肉二パック。
配信の主役。
私の夕飯。
全部まとめて、野外の何者かに奪われた。
私はスマホを取り出し、空のパックを撮った。
配信のネタにはなる。
いや、なってしまう。
本当は肉を焼いて見せるはずだったのに、視聴者に見せるのは食後の容器。
BBQ配信ではなく、犯行現場実況である。
「こちら、肉があった場所です」
「犯人はすでに逃走しています」
そんな説明しかできない。
私は自転車の前で深呼吸した。
たった一分でも、食べ物を外に置きっぱなしにしてはいけない。
特に肉。
特に高い肉。
特に、これから配信で自慢しようとしている肉。
世の中には、人間より早くうまいものを見つける存在がいる。
油断した私が悪い。
でも、全部持っていくことはないだろう。
せめて一枚残してほしかった。
いや、一枚残っていた。
小さな一切れだけ。
あれは何だ。
良心か。
それとも満腹の限界か。
私は残された肉片を見ながら、妙な敗北感に包まれた。
結局、その日のBBQは予定変更になった。
主役不在。
肉、ほぼ消失。
飲み物だけは無事。
あまりにも切ない。
でも、配信を始めて事情を話したら、コメント欄はめちゃくちゃ盛り上がった。
「それは草」
「肉泥棒強い」
「高級肉、秒で完売」
「犯人グルメすぎる」
笑うな。
いや、笑ってくれ。
もう笑いに変えないとやってられない。
私は空のパックを見せながら言った。
「本日のBBQ、主役は旅立ちました」
その瞬間、今日の配信タイトルは決まった。
高級肉二パック、焼く前に食われる。
人生、何がネタになるか分からない。
ただ一つだけ学んだ。
自販機で飲み物を買う時でも、肉から目を離してはいけない。
高級肉は、焼く前からすでに戦場にいる。