最初にその車を見た時、ただの路上駐車だと思った。
銀色のコンパクトカー。
都内のビル街の端に、いつものように停まっていた。
そのあたりは、仕事の車も多い。
配達、営業、来客、工事関係。
短時間だけ停める車は珍しくない。
でも、その車だけは少し違っていた。
フロントガラスの下に、手書きの紙が挟まれていた。
近づいて見ると、こう書かれていた。
「バッテリー上がってしまって動かせません」
「今日中に対応します」
「駐禁とらないでください」
私はその場で足を止めた。
バッテリー上がり。
それなら確かに、すぐ動かせないこともある。
急に車が動かなくなれば、誰でも焦る。
JAFを呼ぶか、知り合いに助けを頼むか、業者を手配するか。
事情は分かる。
でも、なぜかその紙には、妙な引っかかりがあった。
「駐禁とらないでください」
その一文が、やけに都合よく見えた。
本当に困っているなら、警察か管理先に連絡する。
ロードサービスを呼ぶ。
ハザードを出す。
車内か外から見える形で連絡先を置く。
でもその車には、連絡先らしいものは見えなかった。
ただ、お願いだけが置かれていた。
しかも、その場所は時間制限のある駐車枠だった。
1時間ごとに300円。
つまり、きちんとお金を入れれば、一定時間は停められる。
逆に言えば、入れなければ取り締まり対象になる。
私は少し離れて、その車を見ていた。
車は斜めでもない。
事故を起こした様子もない。
タイヤがパンクしているようにも見えない。
ボンネットが開いているわけでもない。
ただ、普通に停まっている。
紙だけが、妙に大げさだった。
その時、近くの人が小さく言った。
「あれ、朝からありますよ」
私は思わず聞き返した。
「朝から?」
「はい。少なくとも午前中からずっと」
時計を見ると、もう昼を過ぎていた。
今日中に対応します。
そう書いてある。
でも、何時間もそのまま。
その間、誰かが来た気配はない。
私はスマホを出した。
車の全体。
紙の内容。
駐車位置。
周囲の標識。
駐車枠の表示。
必要以上に近づかず、状況が分かるように写真を撮った。
もちろん、車には触らない。
紙を動かすこともしない。
勝手に何かを貼ることもしない。
ただ、見たままを残した。
しばらくして、さらに妙なことが起きた。
一人の男性が近づいてきた。
車の持ち主らしき人だった。
私は少し離れた場所から見ていた。
男性は車に乗り込むのかと思った。
しかし違った。
車を動かす様子はない。
ボンネットも開けない。
誰かに電話する様子もない。
ただ、駐車機の近くへ行き、料金を入れた。
そして、何事もなかったようにその場を離れた。
私は固まった。
え。
動かせないんじゃなかったのか。
バッテリーが上がっているなら、もちろん車は動かない。
それは分かる。
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