電車に乗った瞬間、私は思わず足を止めた。
空いているように見えた車内。
紫色の座席。
窓際には、スマホを構えた女性が一人。
その隣の席には、黒いバッグ。
さらにその横には、紙袋や小物。
つまり、人間一人分の席どころか、荷物まで堂々と座っていた。
私は一瞬、見間違いかと思った。
席が空いている。
でも座れない。
なぜなら、バッグ様がご乗車中だからだ。
車内には立っている人もいた。
扉付近でつり革を持つ人。
荷物を抱えた人。
疲れた顔で空席を探す人。
それでも、その座席だけはまるで私物化されたリビングのようだった。
本人はスマホを見ている。
片手を上げて、完全にくつろぎモード。
周りの空気なんて見えていない。
いや、見ていないのかもしれない。
こういう人は、たいてい自分の半径三十センチだけが世界なのだ。
私は近くに立った。
荷物をどけてくれるかな、と思った。
普通なら、人が近づけば気づく。
目が合えば、バッグを膝に乗せる。
「すみません」と言わなくても、少し動く。
それが最低限のマナーだと思っていた。
しかし、何も起きなかった。
女性はスマホの画面を見たまま。
バッグは堂々と座席に鎮座。
紙袋も小物も、そのまま。
まるで「ここは全部私のエリアです」と無言で主張しているようだった。
私は心の中でため息をついた。
国籍がどうこうではない。
見た目がどうこうでもない。
どこの人でも、こういうことをする人はいる。
問題はそこではない。
混んでいる車内で、席を荷物で占領する神経。
周りに人が立っているのに、気づかないふりをする鈍さ。
そこが嫌なのだ。
電車の座席は、荷物置き場ではない。
しかも、ここは公共交通機関だ。
誰かの家ではない。
ホテルの部屋でもない。
カフェのソファ席でもない。
運賃を払っているのは自分だけではない。
疲れているのも自分だけではない。
座りたいのも自分だけではない。
そんな当たり前のことを、なぜ分からないのか。
私は少し声をかけようか迷った。
「すみません、座ってもいいですか」
たったそれだけ。
でも、その一言を言う側がなぜ気を使わなければならないのか。
本来、荷物をどける側が先に気づくべきだ。
こちらがお願いしないと座れない空気。
それがまた腹立たしい。
近くにいた年配の男性も、その席をちらっと見た。
そして何も言わず、別の場所へ移動した。
分かる。
言いたくない。
揉めたくない。
相手が素直にどけるとは限らない。
変な顔をされるかもしれない。
舌打ちされるかもしれない。
だからみんな我慢する。
そして、こういう人だけが得をする。
嫌な構図だ。
私は車内を見渡した。
ちゃんと荷物を膝に置いている人もいる。
足元に置いている人もいる。
大きなバッグを抱えながら、周囲に気を配っている人もいる。
そういう人たちがいるから、電車は成り立っている。
なのに、一人が平然と席を占領すると、一気に空気が悪くなる。
「私も置いていいんだ」
「注意されないなら大丈夫なんだ」
そう思う人が増えたら、車内はすぐに無法地帯になる。
私は結局、座らなかった。
立ったまま、しばらくその光景を見ていた。
スマホを見ながら、自分だけ快適そうにしている姿。
隣で荷物が一席分を占領している姿。
その画面の中に何が映っているのか知らない。
でも、目の前の現実はまったく見えていないらしい。
少し笑えてきた。
人間よりバッグの方が優遇される車内。
日本の公共マナーも、ずいぶん高級バッグ仕様になったものだ。
でも、笑って済ませられる話でもない。
席を必要としている人はいる。
体調が悪い人もいる。
妊娠している人もいる。
見た目では分からない障害や痛みを抱えている人もいる。
そういう人が立っているかもしれない車内で、荷物に座席を使わせる。
その想像力のなさが怖い。
私は降りる駅が近づくにつれて、だんだん冷静になった。
怒りはある。
でも、それ以上に残念だった。
こういう小さなマナー違反は、ひとつひとつは大事件ではない。
でも、積み重なると社会の空気を悪くする。
「言った方が負け」
「注意した方が面倒」
「非常識な人に合わせて我慢する」
そんな場所になっていく。
それが嫌なのだ。
電車を降りる時、もう一度その席を見た。
女性はまだ同じ姿勢だった。
荷物も同じように座っていた。
誰かが座る気配はない。
まるで最初から最後まで、自分専用の四席ボックスだったかのように。
私はホームに降りて、深く息を吐いた。
人の国籍を責めたいわけではない。
服装を責めたいわけでもない。
ただ、言いたいことは一つだけだ。
公共の場で、自分の荷物を人間より優先するな。
座席はバッグのためにあるんじゃない。
周りを見ろ。
気づけ。
それができないなら、せめて荷物だけでもマナーを学んでから乗ってほしい。
性根が腐っていると言いたくなるのは、見た目や出身ではない。
こういう「自分さえよければいい」という態度そのものだ。