横断歩道の手前で、私はいつもより慎重にブレーキを踏んだ。
夕方の道だった。
交通量はそこそこある。
信号のない横断歩道。
左側の歩道に、人影が見えた。
迷っているようにも見えた。
渡るのか。
渡らないのか。
一瞬だけ判断に迷った。
でも、私は止まった。
止まるべきだと思ったからだ。
最近は横断歩道の取り締まりも厳しい。
歩行者がいたら停止。
それは分かっている。
だから、ちゃんと止まった。
車を完全に停めて、歩行者が渡るのを待った。
その人は少し驚いたようにこちらを見て、それから横断歩道を渡り始めた。
私はハンドルを握ったまま、じっと待った。
急かさない。
動かない。
歩行者が渡り終えるまで待つ。
当たり前のことを、当たり前にしたつもりだった。
歩行者は反対側へ渡った。
横断歩道からも離れた。
私は左右を確認した。
前方も見た。
問題ない。
そう判断して、ゆっくり発進した。
その瞬間だった。
後ろから赤いランプが光った。
ミラーを見ると、パトカー。
嫌な予感がした。
でも、自分が何をしたのか分からない。
スピードも出していない。
信号無視もしていない。
横断歩道では止まった。
むしろ止まった。
私は路肩に車を寄せた。
警察官が近づいてきた。
窓を開けると、冷たい風が入ってきた。
「今、横断歩道で歩行者の進路を妨害しましたね」
私は一瞬、言葉を失った。
「え?」
思わず聞き返した。
「止まりましたよね、私」
警察官は淡々としていた。
「止まったのは確認しています。ただ、発進した時に歩行者の方がびっくりして振り返っていました」
私は頭の中で、今の場面を巻き戻した。
歩行者が渡る。
私が待つ。
渡り終わる。
発進する。
その人が振り返った。
だから違反。
え。
そんなことある?
私はもう一度言った。
「渡り終わってから発進しました。横断中には動いていません」
しかし、警察官の表情は変わらなかった。
「歩行者が驚いて振り返ったので、危険を感じた可能性があります」
可能性。
その言葉が、やけに引っかかった。
可能性で切符を切られるのか。
私は怒鳴りたい気持ちを飲み込んだ。
ここで感情的になっても得はない。
相手は警察官だ。
こちらが強く言えば、さらに話がややこしくなる。
でも、納得はできなかった。
私はちゃんと止まった。
歩行者を優先した。
急発進もしていない。
クラクションも鳴らしていない。
それなのに、歩行者が振り返ったから違反。
なら、どうすればよかったのか。
歩行者が完全に視界から消えるまで待てばよかったのか。
家に帰るまで見送ればよかったのか。
安全運転のつもりが、いつの間にか見送り業務になっている。
警察官は書類を出した。
私はそれを見ながら、胸の奥がじわじわ熱くなっていくのを感じた。
反則金、九千円。
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