新幹線に乗ってしばらくしてから、私は前の席を見て違和感を覚えた。
「……ん?」
座席が、横を向いている。
しかも、その席に普通に人が座っていた。
窓の方を向いて、景色を見ながらスマホで写真まで撮っている。
最初は一瞬、何が起きているのかわからなかった。
しかしよく見ると、前の四席の座椅子が全部横向きに回されている。
つまり、本来前を向いているはずの座席を無理やり回して、
窓の方向を向くようにしているのだ。
「いやいや……」
思わず小さく声が出た。
新幹線の座席は回転できるが、
横向きの状態では固定できない。
急ブレーキがかかったら、
座席ごと動く可能性がある。
普通に危ない。
周りの乗客も気づいているようで、
ちらちらとその席を見ていた。
しかし、誰も声をかけない。
いかにも日本らしい空気だった。
私は少し迷ったが、結局声をかけることにした。
「すみません」
前の席の男性に話しかける。
私は座席を指差して言った。
「それ、ちょっとアカンと思いますよ」
男性は振り返った。
「?」
私は続ける。
「その向き、危ないです。固定できないんで」
すると男性は一瞬黙り、
隣の仲間と顔を見合わせた。
そして小さく笑いながら言った。
「何言ってんのこの人」
……は?
思わず耳を疑った。
男性は肩をすくめながら言う。
「空いてるじゃん」
「別にいいでしょ」
隣の連れも笑っている。
「景色見てるだけだし」
完全にバカにされた感じだった。
その瞬間、
クソ腹が立った。
こっちは危ないから言ってるのに、
その態度か。
私は少し強めに言った。
「いや、危ないですよ」
「急ブレーキかかったら座席動きます」
しかし男性はスマホを構えながら言う。
「大丈夫大丈夫」
「気にしすぎ」
完全に聞く気がない。
そのとき、後ろの席から声が聞こえた。
「確かに危ないですよね」
別の乗客だった。
さらに別の人も言う。
「固定できないはずですよ」
車内の空気が少し変わった。
それでも男性たちは笑っている。
「神経質すぎ」
その一言で、
車内の空気が一気に冷えた。
私は立ち上がった。
「じゃあ車掌呼びます」
男性は肩をすくめた。
「どうぞ」
私はデッキに向かい、
車掌に事情を説明した。
数分後。
車掌と一緒に戻る。
車掌は落ち着いた声で言った。
「お客様、申し訳ございません」
「この座席の使い方は危険ですので、お戻しください」
男性は少し不満そうな顔をする。
「なんで?」
車掌は丁寧に説明する。
「横向きでは固定ができません」
「急ブレーキの際、大変危険です」
男性はまだ納得していない様子だった。
「空いてるじゃん」
その瞬間、車掌の表情が少しだけ変わった。
そして静かに言った。
「もしこの状態で使用される場合は」
一呼吸置く。
「四席分の料金を頂く必要がございます」
車内が一瞬静まり返った。
男性たちは顔を見合わせた。
「……は?」
車掌は淡々と続ける。
「現在、四席を一つのスペースとして使用されています」
「そのため、四席分のご利用とみなされます」
周囲の乗客から小さな笑いが漏れた。
さっきまで余裕だった男性の顔が、
明らかに変わった。
「いや、それは……」
車掌は丁寧に言う。
「もしくは座席を元にお戻しください」
数秒の沈黙。
そして男性は舌打ちしながら席を回した。
「チッ……」
座席は元の向きに戻された。
車内の空気が一気に緩む。
誰かが小さく言った。
「最初からそうすればいいのに」
私は席に座り直した。
窓の外では景色が流れている。
そして思った。
ルールって、やっぱり理由があるんだな。
そしてもう一つ思った。
あのとき声をかけなかったら、
あの座席はきっと、ずっとあのままだった。