「……は?」
エレベーターを降りた瞬間、俺は足を止めた。
さっきまで何もなかったフロントガラスに、黄色い紙が貼られていた。
駐車違反。
わずか数分前、大型複合機を届けるために車を停めた場所だった。
時間にして、たった2分。
エレベーターで上がり、納品先の会社に荷物を置き、すぐ戻ってきただけ。
それでこれだ。
俺は配送業をしている。
朝から晩まで走り回り、重い荷物を運び、時間指定に追われる毎日だ。
雨の日も、猛暑の日も、誰かの「今日中に欲しい」に応えるのが仕事。
でも、現場を知らない人間は簡単に言う。
「ルール守れ」
守れるなら守ってる。
停められる駐車場があれば停める。
だがこの日、周辺コインパーキングは満車。
しかも運んでいたのは、100キロ近い業務用複合機。
遠くに停めて一人で運べる荷物じゃなかった。
それでも違反は違反。
頭では分かっていた。
だが、怒りがおさまらなかった。
「仕事してる人間に、ここまでやるか……」
ちょうどその時、少し先に緑色の制服を着た駐車監視員が二人歩いていた。
俺は黄色紙を握りしめ、そのまま駆け寄った。
「すみません、これ貼ったのあなたたちですか?」
一人が振り向き、事務的な顔で答えた。
「はい。確認時間内に車両が無人でしたので」
「確認時間って、俺2分しか離れてませんけど?」
「時間の長短は関係ありません」
「荷物届けてただけです。大型機材ですよ?」
「それでも道路交通法上——」
そこで俺は遮った。
「法律の話は分かってますよ。でも、現場見てます?」
「この建物、搬入口もない。駐車場もない。周り満車。じゃあ、どうやって運べって言うんですか?」
監視員は黙った。
もう一人が小さく言った。
「それは……警察にご相談を」
「毎回相談してたら仕事終わりますよ」
その一言に、近くで見ていた通行人がクスッと笑った。
さらにビルから納品先の担当者が降りてきた。
「すみません!その人、うちに届けてくれてたんです!」
担当者は監視員に頭を下げた。
「この複合機、今日入れ替えしないと業務止まるところでした。しかも一人で運んでくれて……」
監視員たちの表情が少し変わった。
そこへ、近くの警察官が巡回でやって来た。
騒ぎを見て事情確認が始まった。
担当者も、ビル管理人も口を揃えて言った。
「この辺、荷捌きスペースがなくて、配送業者さんがいつも困ってるんです」
「違反だけ取っても、根本解決になってません」
警察官はしばらく話を聞いたあと、監視員に言った。
「この場所、以前から苦情と要望出てるよね?」
監視員たちは気まずそうにうなずいた。
その場で違反が取り消されることはなかった。
だが、話はそこで終わらなかった。
数日後、納品先の会社から連絡が来た。
「あの日の件、地域商店会と管理会社に掛け合いました」
「ビル前に荷捌き専用15分スペースが新設されることになりました」
俺は思わず聞き返した。
「……マジですか?」
さらにその会社は、俺の勤め先にも正式に感謝状を送ってくれた。
「困難な状況でも誠実に対応してくれた配送員」として。
社長はそれを朝礼で読み上げ、みんなの前で言った。
「こういう現場の声を上げる人間が会社を変える」
そして俺に特別手当までつけてくれた。
あの黄色紙を見た瞬間、俺は終わったと思った。
理不尽に踏みつけられた気がした。
でも違った。
あの日、怒って声を上げたからこそ、誰も見ようとしなかった問題が動いた。
今でも配送中、このビルの前を通ることがある。
新しくできた荷捌きスペースには、白い文字でこう書かれている。
「配送車優先」
それを見るたび、少し笑ってしまう。
たった2分で貼られた一枚の紙。
でも、その2分が街を変えた。