久しぶりに山口の家へ戻った。
玄関を開けた瞬間、少し懐かしい匂いがした。
郵便物がいくつか溜まっている。
チラシ。
案内。
事務的な封筒。
その中に、一通だけ妙に重い封筒があった。
差出人は、さいたま地方検察庁。
赤い文字で「簡易書留」。
私はその場で足を止めた。
ああ、あの件だ。
すぐに分かった。
昨年の参議院選挙。
川口駅前で街頭活動をしていた時のこと。
あの時、私は普通に訴えを届けようとしていただけだった。
マイクを持ち、通りかかる人に頭を下げ、政策を話す。
選挙とは本来、そういうものだと思っている。
賛成もある。
反対もある。
厳しい声もある。
それは当然だ。
でも、あの日の現場は、意見の違いという言葉だけでは片づけられなかった。
声がぶつけられた。
近距離で妨げられた。
こちらの演説が届かないようにされる。
支援者の表情も強ばっていた。
スタッフの動きも乱れた。
通行人は何事かと足を止める。
駅前の空気が、一気にざらついていった。
私はその時、腹が立つより先に怖かった。
選挙活動をしているだけなのに、なぜここまでされるのか。
意見が違うなら、言葉でぶつければいい。
主張があるなら、堂々と述べればいい。
でも、妨害で相手の声を消そうとするのは違う。
それは民主主義の議論ではなく、ただの力比べだ。
だから私は被害届を出した。
簡単な気持ちではなかった。
警察に話す。
状況を整理する。
当日の記憶を思い出す。
何が起きたのかを、もう一度言葉にする。
それだけでも、かなり消耗した。
それでも必要だと思った。
今後の選挙活動のためにも。
同じようなことが、他の候補者やスタッフに起きないようにするためにも。
そして今、その結果が封筒の中に入っている。
私は深呼吸して、封を開けた。
中から出てきたのは、処分通知書だった。
日付。
事件番号。
罪名。
公職選挙法違反。
そして、処分区分。
そこに印字されていた文字を見た瞬間、胸の奥が冷えた。
不起訴。
予想していなかったわけではない。
どこかで、そうなる可能性は考えていた。
証拠の評価。
立件の壁。
捜査機関の判断。
こちらがどれだけ深刻に受け止めていても、法律上の判断は別にある。
それは理解している。
理解はしている。
でも、納得できるかは別だった。
あれだけのことがあって。
あの場で実際に妨げられて。
選挙活動に影響が出て。
それでも、最終的には「不起訴」。
紙の上では、たった三文字。
でも、その三文字の重さは、思った以上だった。
私は通知書を机に置き、しばらく眺めていた。
怒りがじわじわ湧いてきた。
同時に、無力感もあった。
こちらは正規の手続きで訴えた。
被害を説明した。
判断を待った。
そして返ってきたのが、この一枚。
あまりにも淡々としていた。
もちろん、検察にも検察の判断がある。
感情で処分を決められないことも分かる。
ただ、選挙活動への妨害が軽く扱われてしまえば、次に現場へ立つ人たちはどうなるのか。
また同じことが起きた時、誰が守ってくれるのか。
候補者だけではない。
スタッフもいる。
支援者もいる。
たまたま近くにいた有権者もいる。
選挙の現場は、紙の上の制度だけで成り立っているわけではない。
駅前で。
街角で。
人の前に立って。
声を届けることで成り立っている。
その声を妨げる行為に対して、もっと明確な線を引いてほしかった。
私は通知書を封筒に戻した。
でも、気持ちは戻らなかった。
この件は、私一人の悔しさで終わらせてはいけないと思った。
反対意見はあっていい。
批判もあっていい。
むしろ政治に批判がない方が怖い。
でも、批判と妨害は違う。
言論と威圧は違う。
選挙の自由を守るというなら、そこは曖昧にしてはいけない。
山口の静かな部屋で、私はもう一度通知書を見た。
不起訴。
その文字は変わらない。
でも、こちらの記憶まで消えるわけではない。
川口駅で起きたこと。
あの時の空気。
スタッフの緊張。
有権者の戸惑い。
それらは、紙一枚でなかったことにはならない。
だから、私は黙って終わらせない。
怒鳴るのではなく、記録として残す。
感情だけで騒ぐのではなく、次の選挙活動を守るために考える。
今後、同じような妨害が起きた時、何を証拠として残すべきか。
どう対応すべきか。
どこに訴えるべきか。
今回の悔しさを、ただの悔しさで終わらせない。
封筒を閉じたあと、私は小さく息を吐いた。
久しぶりに帰った家で、待っていたのは懐かしい空気ではなく、現実の冷たい通知だった。
でも、これで終わりではない。
選挙は、誰かの声を力で消す場ではない。
その当たり前を守るために、これからも私は立つ。
たとえ紙の上で「不起訴」と書かれても、あの日受けた重さまで、不起訴になるわけではない。