朝の空気はひんやりしていた。私は小さな役所の窓口で、手にした書類を握りしめていた。書類の文字は淡々としている。水利権使用規則──指令河第710号。平成25年12月20日付。表題には、まるで無機質に「水利使用規則」とだけ書かれていた。しかし、その中身を理解するには時間だけでは足りなかった。
数年前、私はいくつもの水利権を手に入れてしまった。川の水を使える権利だと思っていた。単純だと考えていた。しかし、今その現実を前にして、私はただただ後悔していた。なんでこんな悪法になっているのか。もし時が戻るなら、あの時、水利権を理解していなかった自分を殴りつけたいほどだった。
初めて役所の担当者に言われた言葉は今でも忘れられない。「車をもらったら、最後は自分で処分するでしょう?それと一緒ですよ」。その瞬間、頭の血の気が引くのを感じた。私が手にした水利権は、川の水を使うための権利ではなかった。川に設置された占有設備の責任を引き受ける契約だったのだ。一度受け取ったら、返すことはできない。逃げることは許されない。
心臓が激しく脈打った。契約書の文章を指でなぞりながら、私は現実を理解しようと必死だった。もしこの権利を手放したければ、次の持ち主を探すか、あるいはすべて自腹で片付けるしかない。どちらにしても、数億円規模の費用がかかるのだ。普通のサラリーマンに出来るはずもない。だが、選択肢はそれしかない。
私は息を呑んだ。これは単なる法の話ではない。未来の責任の話だ。私が死んでも、この水利権は終わらない。次に名前を書くのは、私の家族だ。永遠に続く責任ほど、恐ろしいものはない。想像しただけで背筋が凍る。
私は窓口の担当者の顔を見た。彼の表情は真顔だった。笑ってはいなかった。だが、その冷静さが余計に恐怖を煽った。言葉の裏に潜む現実の重み。組合で水利権を持つべきだとアドバイスされる意味が、今なら痛いほどわかる。個人で持つことの恐ろしさ。これを避けるために、なぜ誰も私を止めなかったのか。
建物の外では、風が川面を揺らしていた。水の音がかすかに聞こえる。あの川の水は、ただの水ではない。私の未来を縛る契約書、重い鉄のような責任が、流れの向こうで静かに私を見下ろしているような感覚だった。
心を落ち着けようと深呼吸する。手にした書類を軽く握りしめ、再度読み返す。条文は淡々としている。しかしその文字の間に、無数の危険と責任が潜んでいる。気がつけば手のひらに汗が滲む。頭の中で計算する。何億、いや何十億規模の費用が待ち構えているのか。どうやって解決するのか。答えはない。ただ、次に名前を書く人のことを考えると、胸が締め付けられる。
ふと、自分が愚かだったと呟く。
無知とは怖いものだ。水利権の本質を理解していなかった自分。若気の至り。契約書の文字が、冷酷に私の過去を責めてくる。だが、もう後戻りはできない。
私は意を決して席を立つ。手に書類を抱えながら、未来の責任を思い描く。川に設置された設備は待ってくれない。私の死後も、責任は続く。だが、ここで覚悟を決めるしかない。自分の意思で、責任を引き受けるしかないのだ。
最後に、心の中で一言。頼む、もう誰も個人で水利権を持つな、と。組合で、責任を分散して持つべきだと。これは誰もが知るべき教訓だ。個人で持つ恐ろしさを、私が身をもって示してしまった。
外の光が少し眩しく感じられる。深呼吸を一つ、もう一度。手にした書類を胸に抱き、私は静かに役所を後にした。川の流れは止まらない。水利権の責任も、これからずっと続く。私の覚悟だけが、唯一の支えだ。