目の前で、スーパーのロゴ入りカゴをそのまま車に積み込む女を見た。
一瞬「まさか」と思った。
だが、次の瞬間、確信に変わった。
あれは“うっかり”じゃない。
私はその女性のすぐ後ろのレジに並んでいた。袋詰め台で商品をマイバッグに移すでもなく、店内専用の貸出カゴに商品を入れたまま、そのままカートに載せていたのを見ている。
「袋、いらないのかな?」と一瞬思ったが、嫌な予感がした。
会計を終えた彼女は、店員に何も言わず、カゴごと駐車場へ向かった。
私は自分の会計を急いで済ませ、後を追った。
駐車場で見た光景は、やはり予感通りだった。
彼女はロゴ入りの店内専用カゴをそのまま車の後部座席に積み込んでいた。
カートは放置。
私は思わず声をかけた。
「すみません、それ、店内専用のカゴですよね?」
彼女は一瞬だけ振り向いた。
そして、露骨に顔をしかめた。
「は?私のですけど?」
即答だった。
だが私は見ていた。
レジからここまで、全部。
「さっき店内で使っていたものですよね?」
そう言うと、彼女は一歩近づいてきた。
「あなたに関係あります?」
空気が変わった。
逆ギレだった。
「ちゃんと買ってますけど?」
私は冷静に言った。
「商品を買ったことと、カゴを持ち出すことは別ですよ」
その瞬間、彼女の表情が一変した。
「証拠でもあるの?」
挑発的だった。
周囲の人もこちらを見ている。
私はスマートフォンを取り出した。
「全部見てましたし、今も撮ってます」
彼女の視線が、一瞬揺れた。
だが次の瞬間――
車に飛び乗り、ドアを勢いよく閉めた。
エンジン音。
急発進。
明らかに“逃げた”。
私は反射的にナンバープレートを撮影した。
そのまま店に戻り、サービスカウンターで事情を説明した。
店員は最初、困惑していた。
だが、防犯カメラの確認が始まると、空気が変わった。
レジから駐車場までの一連の流れが、はっきり映っていた。
そして、店長がぽつりと言った。
「あの方、以前も怪しい行動があったんです」
数日後。
店から連絡が来た。
「警察に相談しました」
カゴは店の備品。持ち出しは窃盗に該当する可能性が高いという。
さらに確認の結果――
彼女は“初犯”ではなかった。
過去にも同様の持ち出しが疑われていた。
防犯カメラの映像、ナンバー情報、購入履歴。
すべてが揃った。
数日後、彼女は警察から連絡を受けた。
カゴは返却。
そして正式な注意。
場合によっては立件もあり得る状況だったという。
私は正直、少しだけ迷っていた。
「たかがカゴ一つ」と言う人もいるかもしれない。
だが、それは違う。
もし全員が同じことをすれば、どうなるか。
カゴは不足し、店は損失を被り、その負担は商品価格に転嫁される。
ルールを守る人が、損をする。
それが一番、許せなかった。
数日後、スーパーの入口に新しい掲示が貼られた。
「店内専用カゴの持ち出しは窃盗行為に該当します」
はっきりと書かれていた。
それ以来、カゴの持ち出しは激減したという。
あの女性は、もう堂々とは来られないだろう。
逃げたつもりだったのは、彼女の方だった。
私はただ、見て見ぬふりをしなかっただけだ。
小さな不正でも、積み重なれば社会は壊れる。
あの日、私が声をかけた瞬間から、立場は逆転していた。
逃げる側と、守る側。
最後に守られたのは、ルールだった。