仕事帰りに立ち寄った、小さな飲食店でのことだった。
店内はそれほど広くない。
カウンター席と、数卓のテーブル。
厨房からは料理の香りが漂い、店員たちは忙しそうに動いていた。
私は席に座り、メニューを開いた。
「すみません、生ビールを一つお願いします」
近くにいた若い店員が、
「はい、ありがとうございます」
と笑顔で答えた。
しばらくして、冷えたジョッキが運ばれてきた。
私は一口飲み、ようやく肩の力を抜いた。
その時だった。
入口のドアが勢いよく開いた。
四十代くらいの男が、面倒そうな顔で入ってきた。
空いている席に座るなり、メニューも見ずに大声を出した。
「おい、生ビール!」
店内の空気が一瞬止まった。
さっきまで聞こえていた食器の音まで、小さくなったように感じた。
若い店員が男の席へ向かった。
「生ビールをお一つでよろしいでしょうか?」
すると男は、眉を寄せた。
「一つって言ってんだろ。早く持ってこいよ」
店員は小さく頭を下げた。
「かしこまりました」
私はその様子を見ながら、胸の奥がざらついた。
忙しい店で注文が遅れたわけでもない。
何か失敗されたわけでもない。
それなのに、最初から人を見下した話し方。
店員の女性は、まだ若く見えた。
それでも表情を崩さず、黙って仕事を続けていた。
数分後。
男の前にビールが置かれた。
「お待たせいたしました」
男は礼も言わず、ジョッキをつかんだ。
そして一口飲むと、今度は料理を注文した。
「これ。あと、早くしろよ」
メニューを指で叩く。
店員はまた、
「かしこまりました」
と答えた。
周囲の客も、少しずつ男を気にし始めていた。
でも誰も何も言わない。
楽しく食事をする場所で、知らない客と揉めたい人はいない。
私も同じだった。
腹は立った。
でも、店員でもない私が口を出せば、余計に話が大きくなる。
そう思って黙っていた。
男はその後も、店員を呼ぶたびに、
「おい」
「まだか」
「聞こえてんのか」
と声を荒らげた。
料理が運ばれても、ありがとうの一言はない。
箸を落とせば、
「拾えよ」
水が少なくなれば、
「気が利かないな」
まるで店員を自分専用の召使いだと思っているようだった。
それでも、店員たちは反論しなかった。
淡々と料理を運び、空いた皿を片づけていた。
やがて男が会計を頼んだ。
レジへ向かい、伝票を店員へ差し出す。
店員が金額を伝えた瞬間、男の顔色が変わった。
「は?」
大きな声が店内に響いた。
「生ビール、1000円になってるぞ」
私は思わず、自分の伝票を見た。
私が頼んだ生ビールは、380円。
同じジョッキ。
同じ量。
同じ商品だったはずだ。
男は伝票をレジ台へ叩きつけた。
「おかしいだろ。メニューには380円って書いてあったぞ!」
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