新幹線は完全満席だった。
自由席はもちろん埋まり、
通路には立ち客がずらっと並んでいる。
車内は重たい空気だった。
みんな疲れている。
でも座れない。
そんな状況の中、私は父と一緒に立っていた。
父はもう七十を超えている。
長時間立つのはかなり辛そうだった。
それでも父は、
「大丈夫、大丈夫」
と笑っていた。
でも、顔色は明らかに疲れていた。
私は周囲を見た。
すると、三人掛けの席を親子連れが広く使っていた。
母親と子ども。
そして横には大量の荷物。
子どもは一席を丸々使い、
さらに荷物まで座席側へ広げている。
正直、最初は何も言うつもりはなかった。
子ども連れが大変なのも分かる。
騒ぐのを抑えるだけでも大変だろうし、
周囲に気を遣っている親もたくさん見てきた。
でも。
父が壁にもたれるようにして立っている姿を見た瞬間、
私はどうしても見過ごせなかった。
だから私は、できるだけ丁寧に声をかけた。
「あの……少しだけ詰めてもらえませんか?」
「父がちょっと辛そうで……」
その瞬間だった。
母親の顔が、一気に変わった。
「は?」
空気がピリつく。
そして次の瞬間。
「子どもいるんですけど?」
私は一瞬、言葉を失った。
でも母親は止まらなかった。
「小さい子いるの見れば分かりますよね?」
「あなたのほうが自己中心的じゃないですか?」
「子どもに配慮できない人って本当にいるんですね」
周囲の空気が一気に重くなる。
私はただ、父を座らせたかっただけだった。
でも車内では、
まるで私が“冷たい人”みたいな空気になっていく。
父は慌てて、
「もういいから」
と小声で言った。
その時だった。
少し離れた場所で立っていた男性が、
大きくため息をついた。
スーツ姿の男性だった。
たぶん四十代くらい。
ずっと吊革につかまって立っていた人だ。
その男性がこちらへ歩いてきた。
そして母親を見て、低い声で言った。
「いや、さすがにそれは違うでしょ」
車内が静まり返る。
男性は続けた。
「こっちだってずっと立って我慢してるんですよ」
「子どもいるのは分かる。でも、だからって周り全部が我慢する前提なのは違うでしょう」
母親はムッとした顔になる。
「でも子どもがいるから——」
すると男性はすぐ言った。
「だったら外側の席に座ればいいじゃないですか」
「子どもの面倒も見れるし、他の人も少し休める」
「それで済む話ですよね?」
母親の顔が引きつった。
そのタイミングで、騒ぎに気づいた車掌さんがやって来た。
事情を聞かれ、私は慌てて説明した。
すると車掌さんは静かに頷いて、母親へこう言った。
「ここは公共の場ですので、皆様が過ごしやすいようご協力をお願いします」
そして少し間を置いてから、はっきり言った。
「お子様がいることは理解しております」
「ですが、周囲への配慮も必要です」
「外側のお席へ移動いただければ、お子様も見やすく、他のお客様も少しお休みいただけます」
さらに——
「今の状態ですと、あなたのほうが自己中心的に見えてしまいます」
その瞬間。
車内の空気が完全に変わった。
母親は何も言えなくなった。
さっきまで強かった声が、急に小さくなる。
父は小さく、
「ありがとうございます」
と頭を下げた。
男性も苦笑いしながら、
「お父さん座ってください」
と席を譲ってくれた。
父がゆっくり座る。
その姿を見た瞬間、
私は胸の奥の力が抜けた。
窓の外では景色が流れている。
私は思った。
“子どもがいる”って、
周りを踏みつけていい理由じゃない。
本当に配慮できる人って、
「自分だけが大変」って顔をしない人なんだろうなって。
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