花火大会の夜だった。
近くの河川敷から、どん、と腹に響く音がしていた。
窓の外には、浴衣姿の人たちがぞろぞろ歩いている。
子どもの声。
屋台の匂い。
遠くで上がる歓声。
夏らしい夜だな、と思いながら、私は敷地内の駐車スペースを見に行った。
そこで、足が止まった。
見覚えのない車が一台、堂々と停まっていた。
うちの敷地内。
もちろん来客予定はない。
許可もしていない。
なのに、まるで最初からそこが自分の場所だったみたいな顔で、白い車がすましている。
私はしばらく黙って眺めた。
「……誰?」
車は答えない。
当たり前だ。
でも、その沈黙が余計に腹立たしい。
近くで花火がある日は、こういうことが起きる。
駅前の駐車場は満車。
コインパーキングも値段が上がる。
だから、少し離れた住宅地や敷地内に、勝手に停める人が出る。
本人たちはたぶん思っている。
「少しだけだから」
「夜だしバレないだろう」
「終わったらすぐ出るし」
その“少しだけ”で、こっちは自分の場所を奪われる。
自分の敷地なのに、なぜかこちらが遠慮しなければならない。
私はその白い車の前で、静かに笑った。
怒鳴るより先に、妙な冷静さが来た。
さて。
どうしてくれようか。
通報する?
張り紙する?
持ち主が戻るまで待つ?
いや、花火大会の夜に、見知らぬ無断駐車のためにこちらが時間を差し出すのは、あまりにも優しすぎる。
ちょうど家族の車が戻ってきた。
黒い車と青い車。
私は一台を左へ。
もう一台を右へ。
白い車の両側に、ぴたりと停めた。
前にも後ろにも余裕はほとんどない。
まるで展示車のように、三台が横一列に並んだ。
中央の白い車だけが、妙にお行儀よく挟まれている。
私は少し離れて眺めた。
完璧だった。
ガチガチのブロック。
出られるものなら出てみてください、という構図。
もちろん、こちらの車はうちのものだ。
敷地内に停めているだけ。
無断で入り込んだ車を、こちらの生活圏が包囲しただけである。
遠くで花火が上がった。
夜空が一瞬明るくなり、白い車のボンネットが光った。
なんだか祝砲みたいだった。
しばらくして、花火大会が終わったらしい。
人の流れが戻ってきた。
浴衣の裾を持った若い女性。
スマホを見ながら歩くカップル。
眠そうな子どもを抱えた父親。
その中に、明らかに焦った様子の男がいた。
彼はうちの敷地の前で止まり、白い車を見た。
そして、左右の車を見た。
顔が固まった。
私は少し離れた場所から、その表情を見ていた。
申し訳ないが、少しだけ面白かった。
男は車の周りをぐるっと回った。
前を見る。
後ろを見る。
左を見る。
右を見る。
どこにも逃げ道はない。
スマホを取り出して、誰かに電話している。
たぶん、こう言っているのだろう。
「車、出せない」
でしょうね。
こちらも、勝手に停められて出せませんでしたから。
しばらくして、男がこちらに気づいた。
気まずそうな顔で近づいてきた。
「あの、すみません……車、出したいんですけど」
私はゆっくり振り向いた。
「ここ、うちの敷地なんですけど」
男は一瞬、言葉に詰まった。
「あ、いや、少しだけ停めさせてもらってて……」
出た。
無断駐車界の伝統芸。
「少しだけ」
その“少し”の間に、あなたは花火を見て、こちらは自分の敷地を見張る羽目になったんですが。
私は笑顔で言った。
「少しだけなら、出られない時間も少しだけ我慢できますよね」
男の顔がさらに引きつった。
別に大声で責めるつもりはなかった。
でも、何事もなかったように帰らせるつもりもなかった。
自分の都合で他人の場所を使うなら、他人の都合で困ることもある。
それだけの話だ。
最終的に、男は何度も頭を下げた。
私は車を動かした。
白い車は、やっと敷地から出ていった。
去り際、男は二度と来ませんと言った。
ぜひそうしてほしい。
花火はきれいだったのだろう。
でも、うちの敷地に勝手に停めたせいで、彼の思い出には最後に「出庫不能」という特大のフィナーレがついた。
夏の夜。
無断駐車。
左右からの完全包囲。
花火より派手ではないけれど、効果は抜群だった。
次からは、ちゃんと駐車場を探してください。
夜空に上がる花火は無料で見られても、他人の敷地まで無料開放しているわけではない。