その日の新幹線は、ほぼ満席だった。
私は窓側の席に座り、スマホを見ながら出発を待っていた。ふと、通路側から「ガタン」と鈍い音がした。
顔を上げると、一人の男性が大きなスーツケースを抱えて車内に入ってきた。黒いキャリーケースを二つ。どちらもかなり大きい。
男性は周囲を見回すと、私たちの席の上にある荷物棚に目をつけた。
「よいしょ…」
まず一つを持ち上げて棚に置く。そこまでは普通だった。
しかし次の瞬間、もう一つの大きなスーツケースも無理やり持ち上げ、同じ棚に押し込んだ。
問題は、その置き方だった。
二つのスーツケースは完全に棚に収まっておらず、半分ほど外に飛び出していたのだ。
車体が揺れたら、いつ落ちてもおかしくない。
私の隣に座っていた年配の女性が、少し心配そうに言った。
「すみません、その置き方…ちょっと危ないかもしれませんよ」
すると男性は軽く笑って答えた。
「大丈夫ですよ。落ちませんって」
女性はもう一度言った。
「でも、新幹線って急に揺れることもありますし…」
しかし男性は手をひらひらさせて言った。
「心配しすぎですよ」
そう言うと、そのまま席に座り、イヤホンをつけてスマホを見始めた。
周りの何人かも棚を見上げていた。誰が見ても、かなり危ない置き方だった。
私は正直、「あれ落ちるんじゃないか」と思っていた。
そして――
それは、出発してから20分ほど経った頃だった。
新幹線がカーブに入った瞬間、車体が少し大きく揺れた。
その直後。
「ガタンッ!!」
大きな音とともに、スーツケースが棚から滑り落ちた。
車内の何人かが一斉に振り向く。
落ちてきたのは、さっき無理やり置いたあのスーツケース。
しかも――
ちょうどその男性の頭の上に落ちた。
「うわっ!!」
鈍い音とともに、男性が思わず声を上げる。
周りの乗客も一瞬固まった。
さっき注意していた女性が、驚いた顔で言った。
「だから危ないって言ったのに…」
男性は頭を押さえながら、しばらく動かなかった。どうやら大きな怪我はなさそうだったが、かなり痛そうだ。
そこへ車掌がやってきた。
「どうされましたか?」
事情を聞いた車掌は、棚を見上げてすぐに言った。
「お客様、この置き方は危険です。荷物はきちんと棚の内側に収まるようにお願いします」
そう言って、車掌と男性でスーツケースを降ろし、足元に置き直すことになった。
車内は静かだった。
誰も笑ったりはしなかったが、何人かが小さくため息をついていた。
男性はそれからずっと黙ったままだった。
私はその光景を見ながら、ふと思った。
注意されたときに、ほんの少しだけ置き方を直していれば――
こんなことにはならなかったのかもしれない。
公共の場所では、「自分は大丈夫」という感覚が、
一番危ないのかもしれない。
もしあのとき、あなたが同じ車両にいたらあの荷物棚、注意しますか?