大学の学食で、掲示板に貼られていた一枚の紙を見て、俺は思わず二度見した。
そこには、赤文字で大きくこう書かれていた。
──「残念」
そして、その下。
『サンプルの唐揚げを食べた人がいました。食中毒になりますので、今後サンプルにラップをかけさせて頂きます』
……いや、待て。
大学だよな?
小学校じゃないよな?
周囲の学生たちも騒然としていた。
「え、食ったやついるの?」「本気?」「人類終わってて草」
学食のおばちゃんは、完全に魂が抜けた顔で、
「最近ほんと多いのよ…常識ない子…」
とため息をついていた。
どうやら問題の唐揚げは、“展示用の実物サンプル”。
食品ロス削減も兼ねて、営業時間中ずっとケースに入れて置いてあるらしい。
当然、食べる前提ではない。
なのに――誰かが普通にケースを開け、その唐揚げを食べた。
しかも一個だけじゃない。
二個。
「うまかったんかな…」「いや怖すぎるだろ」
笑いとドン引きが混ざった空気の中、ひとりの男子学生が鼻で笑った。
「でもさ、置いてある方も悪くね?」
空気が止まった。
「え?」「どういう意味?」
するとそいつは、スマホをいじりながら続けた。
「だって食品でしょ?食べられる形で置いてるんだから、勘違いするやついても仕方なくね?」
その瞬間、近くの女子が小さく呟いた。
「……マジで言ってる?」
でも男子は止まらない。
「禁止って書いてないじゃん」「てか大学側も注意不足だろ」
典型的な、“自分が悪いと認めたくない人間”の理論だった。
周囲の空気はどんどん冷えていく。
すると奥から、学食の責任者らしき男性が出てきた。
五十代くらいの、普段は温厚そうな人だった。
だがこの時だけは、明らかに顔が引きつっていた。
「……君か?」
男子学生が顔を上げる。
「え?」
責任者は静かに言った。
「防犯カメラ、確認済みなんだよ」
食堂が一瞬静まり返る。
男子の顔色が変わった。
「いや、俺は…」
「ケース開けて、普通に食べてたよね?」
周囲の視線が一気に集まる。
男子は慌てて笑った。
「いやいやwちょっとしたノリっていうか…」
だが責任者は笑わなかった。
「そのせいで、今日並べてたサンプル、全部廃棄になったんだよ」
「……え」
「ラップ対応も、ケース管理も、全部追加作業になった」
静かな声だった。
でも、その場にいた全員が分かった。
この人、本気で怒ってる。
責任者はさらに続けた。
「最近、“一部の非常識”のせいで、ルールばかり増えてる」
「昔はこんなこと、貼り紙しなくても誰もしなかった」
「でも今は、“大人なのに分からない人”が増えた」
男子学生は完全に黙った。
逃げ場を失った顔だった。
すると後ろから、学食のおばちゃんが小さく言った。
「毎日朝から準備してるのにねぇ…」
その一言が、妙に刺さった。
周囲の空気が変わる。
さっきまで笑っていた学生たちも、誰も笑わなくなっていた。
男子は最後、小さな声で
「……すみませんでした」
とだけ言った。
だが責任者は淡々と返した。
「謝る相手、違うよね?」
男子は、おばちゃんの方を見た。
「……ごめんなさい」
おばちゃんは少し困ったように笑って、
「もう食べないでね」
と言った。
その瞬間。
周囲から、小さく拍手が起きた。
男子は真っ赤な顔で、逃げるように学食を出て行った。
その後、ショーケースには本当にラップがかけられるようになった。
たった一人の非常識のせいで。
でもあの日、学食にいた全員が同じことを思ったはずだ。
“ルールが増えた”んじゃない。
“常識が減った”んだって。