その車を見た瞬間、私は思わず足を止めた。
シルバーのBMW。
しかも比較的新しいセダン。けれど――そのボンネットも、フロントガラスも、ドアも、白い紙でびっしり覆われていた。
近づいて見ると、すべて同じ赤いマジックで書かれている。
「迷惑駐車ヤメロ!!」「違反駐車ヤメロ!!」
一枚や二枚ではない。十枚、二十枚…いや、三十枚以上は貼られていた。
まるで車そのものが抗議のメッセージになったようだった。
通りの向こうでは、近所の人たちが小声で話していた。
「ついにやったか…」
私は正直、あまり驚かなかった。なぜなら、このBMWにはずっと問題があったからだ。
このシルバーのBMWが、この通りに停まり始めたのは半年ほど前だった。
最初は誰も気にしていなかった。
「誰かの来客かな」
その程度だった。
しかし、それは毎日のように続いた。
しかも停める場所が悪い。
この通りは住宅街の細い生活道路で、一台路上駐車があるだけで車がすれ違えなくなる。
それでも最初はみんな我慢していた。
ところが、ある日から状況が変わる。
そのBMWは長時間停まり続けるようになった
のだ。
しかも停め方がかなり雑だった。
通りの半分をふさぐように堂々と停めている。
近所の人が一度、フロントガラスに紙を挟んだ。
「ここは駐車禁止です。ご協力ください」
しかし次の日、その紙は地面に落ちていた。
そして車は――
また同じ場所に停まっていた。
それからも何度か注意の紙が置かれた。
「近隣の迷惑になります」「生活道路なので駐車はご遠慮ください」
だが、効果はなかった。
むしろ停め方はどんどん大胆になっていった。
夜になると、近所の人たちの間でこの話題が出るようになった。
「またあのBMW停まってる」
「今日もだよ」
「なんであんな堂々と停められるんだろう」
ある人は警察に相談したらしい。
しかし警察はこう言った。
「すぐにレッカーなどは難しいですね…」
つまり――
すぐには解決できない。
それを知ってか知らずか、そのBMWは相変わらず停まり続けた。
そして、あの日の夜。
誰かが言った。
「もう我慢の限界だよね」
すると別の人が小さく言った。
「じゃあ…わかるようにすればいいんじゃない?」
その場にいた数人が顔を見合わせた。
次の瞬間、誰かがマジックを持ってきた。
「書く?」
誰かが紙を持ってきた。
「貼る?」
そのとき、誰も「やめよう」とは言わなかった。
むしろ、「私も書く」「私も一枚貼る」
気づけば、みんなで紙を書き始めていた。
そして翌朝。
私は家を出て、その光景を見た。
シルバーのBMWが、抗議の紙で覆われていた。
ボンネット。フロントガラス。ドア。トランク。
すべてに赤い文字。
「迷惑駐車ヤメロ!!」
通りを歩く人たちが立ち止まって見ていた。
しばらくして、スーツ姿の男性が歩いてきた。
そして、そのBMWの前で止まった。
どうやら車の持ち主らしい。
最初は何が起きているのかわからない様子だった。
しかし車体を見た瞬間、顔が変わった。
「……なんだこれ?」
紙を一枚はがす。
また一枚。
さらに一枚。
しかし、はがしてもはがしても
「迷惑駐車ヤメロ!!」
の文字が出てくる。
周りでは近所の人たちが静かにその様子を見ていた。
男性は周囲を見回し、苛立った声で言った。
「おい、これ誰がやったんだ?」
誰も答えない。
すると男はさらに声を荒げた。
「お前ら、俺が誰か知ってんのか?」
しかし――
誰も何も言わなかった。
ただ静かに見ているだけ。
なぜなら、この紙を貼ったのは
一人じゃない。
みんなだったからだ。
男はしばらく周囲を睨みつけていた。
しかし、誰も反応しない。
通りには、ただ静かな空気が流れていた。
やがて男は何も言えなくなり、紙を何枚か乱暴にはがすと
そのまま車に乗り込んだ。
そして――
シルバーのBMWは静かに走り去っていった。
それ以来。
そのBMWがこの通りに停まることはなくなった。
でも私は、時々考える。
あそこまで貼るのは、やりすぎだったのだろうか。
それとも――
高級車に乗っているからといって、好き勝手に迷惑駐車していいわけじゃない。
ただ、それだけの話なのだろうか。
もしあなたの家の前に、
毎日のようにBMWが迷惑駐車していたら。
あなたなら――
どうしますか?