新幹線で、正直かなりイラっとした出来事があった。
その日、私は出張帰りで新幹線に乗っていた。昼を食べる時間もなく、駅で買った弁当をやっと開いたところだった。
テーブルを出して、箸を割る。
「やっと昼飯だ…」
そう思った瞬間だった。
目の前のテーブルに、何かが落ちてきた。
黒くて、長くて、ゆらゆらしている。
一瞬、何かわからなかった。
よく見ると――
前の席の女性の長い髪だった。
座席の隙間から、そのまま垂れ下がっている。
しかも、ただ垂れているだけじゃない。
ちょうど私のテーブルの上で揺れていて、弁当に触れそうな距離。
見た目が完全に
昆布。
思わず笑いそうになったが、さすがにこれは困る。
私は前の席を軽くトントンと叩いた。
女性が振り向く。
外国人だった。
金髪で、かなり長い髪。
私は言った。
「すみません、髪が…」
ジェスチャーで、テーブルを指さす。
女性は私を見て、少しだけ首をかしげた。
そして一言。
「I don‘t understand」
そう言って、また前を向いた。
スマホを触り始める。
髪はそのまま。
テーブルの上でゆらゆら。
私は一瞬固まった。
「……いやいや」
もう一度、前の席を叩いた。
女性がまた振り向く。
私はもう一度言った。
「髪、ここ…」
テーブルを指さす。
女性は一瞬だけテーブルを見た。
そして――
軽く目を回して、ため息。
「Whatever」
小さくそう言って、また前を向いた。
髪はそのまま。
完全にそのまま。
私は思った。
「あ、これはダメなタイプだ」
正直、弁当に他人の髪が触れるのは嫌だ。
しかも注意してこの態度。
さすがにイラっとした。
でも車内で揉めるのも面倒だ。
私はしばらく考えた。
そして、何も言わず
テーブルをゆっくり持ち上げた。
パタン。
テーブルを閉じた。
もちろん――
髪はそのまま挟まっている。
女性は気づいていない。
そのままスマホを触っている。
私は弁当を膝の上で食べることにした。
車内は静かだった。
特に何も起こらない。
時間だけが過ぎていった。
そして新幹線が駅に到着した。
車内アナウンスが流れる。
前の女性が立ち上がった。
荷物を持つ。
そして歩き出そうとした瞬間。
グッ
頭が後ろに引っ張られた。
「What the—!?」
女性が振り向く。
その時初めて、自分の髪が挟まっていることに気づいた。
「Hey! What are you doing!?」
かなり怒った顔で私を見る。
私はゆっくりテーブルを開いた。
髪が解放される。
女性は怒った顔のまま言った。
「You did that!」
私は肩をすくめて言った。
「Sorry」
そして少し笑って続けた。
「I don‘t understand」
女性は一瞬固まった。
周りの乗客もこちらを見ている。
私はそのまま荷物を持った。
ドアが開く。
そのままホームに降りた。
後ろから女性の声が聞こえたが、振り返らなかった。
新幹線を降りて歩きながら思った。
最初に一言、
「ごめんなさい」
と言ってくれれば。
たったそれだけで、
何も起きなかったのに。
でもあの日、
新幹線で一番困ったのは――
弁当じゃなくて
前の席の昆布だった。