夕方のスーパーは、いつものように少し騒がしかった。
仕事帰りの人。
惣菜コーナーをのぞく人。
半額シールを待つ人。
私はその中で、買い物かごを片手に、今日の晩ごはんを考えていた。
大したものを買うつもりはなかった。
こんにゃく。
塩ゆで枝豆。
なすび。
絹あげ。
あとは細々したものをいくつか。
完全に庶民の買い物だ。
高級牛肉もない。
カニもない。
金箔入りの何かもない。
むしろ、節約の香りしかしないラインナップだった。
レジに並びながら、私は頭の中でだいたいの金額を計算していた。
まあ、二千円ちょっとかな。
いっても三千円。
最近は何でも高いけれど、さすがに豆腐系と野菜で財布が爆発することはない。
そう思っていた。
店員さんが商品を次々に通していく。
ピッ。
ピッ。
ピッ。
いつもの音。
私は財布を出しながら、ぼんやり画面を見た。
こんにゃく、百八円。
うん。
塩ゆで枝豆、二百九十九円。
安い。
なすび、百五十八円。
ありがたい。
そして次の行で、私の目が止まった。
「絹あげ 185,178円」
一度見た。
目を閉じた。
もう一度見た。
やっぱり、十八万五千百七十八円。
三度見した。
いや、三度では足りない。
レジ画面の前で、私は完全に時を止められた人になっていた。
絹あげ。
一丁、十八万円。
何が入っているのか。
大豆か。
金か。
それとも職人が一枚一枚、人生を込めて揚げているのか。
店員さんも途中で気づいたのか、手が止まった。
画面の下には、合計二十万六千四百四十五円と表示されている。
二十二点で二十万円超え。
私は今日、スーパーで何を買ったことになっているのか。
「え……?」
店員さんが小さく声を漏らした。
私も同じ顔をしていたと思う。
「すみません、これ……絹あげですよね?」
「はい、絹あげです」
「十八万円になってます」
「ですよね」
ですよね、ではない。
でも、あまりの数字に、こちらも怒る気力が出なかった。
むしろ笑いそうになった。
絹あげ一つで、家電量販店の高級洗濯機くらいの値段である。
これを夕飯の味噌汁に入れたら、もはや食卓ではなく投資だ。
店員さんは慌てて商品を確認し、バーコードを読み直した。
しかし画面は堂々としている。
十八万五千百七十八円。
二回目も同じ。
私は思わず言った。
「そんなに高級な絹あげなら、箱に入っててもらわないと困りますね」
店員さんが吹き出しそうになり、必死にこらえていた。
隣のレジの人も、ちらっとこちらを見た。
たぶん、画面の数字が目に入ったのだろう。
その顔がまた面白かった。
「何を買ったらそんな金額に?」
そう言いたげだった。
違います。
買ったのは絹あげです。
車ではありません。
しばらくして、責任者らしき人が来た。
商品登録のミスか、何かの設定が変になっていたらしい。
正しい価格に修正されると、合計金額は一気に普通の買い物へ戻った。
さっきまで二十万円を超えていた画面が、急に現実的な数字になる。
私はその落差に、また笑ってしまった。
人間の心臓は不思議だ。
二十万円を見せられたあとなら、三千円台すら安く感じる。
危ない。
これは新手の心理戦かもしれない。
会計を終え、袋に商品を詰めながら、私は例の絹あげをそっと見た。
見た目は普通だった。
白いパック。
いつもの厚揚げ。
どこにも「本日限定十八万円」とは書いていない。
でも、私の中ではもう普通の絹あげではなくなっていた。
一瞬だけ、スーパーのレジで王族扱いされた絹あげ。
価格だけなら完全に貴族だった。
家に帰ってから、私は家族に話した。
「今日、絹あげ買ったら十八万円だった」
最初は誰も信じなかった。
そりゃそうだ。
私だって信じたくない。
でも写真を見せた瞬間、全員が同じ反応をした。
「高っ!」
そして次に笑った。
夕飯にその絹あげを出すと、妙に緊張感があった。
箸でつまむたびに、
「これ、一切れいくら?」
なんて冗談を言い合った。
味は普通においしかった。
十八万円の味はしなかった。
でも、話のネタとしては十分すぎるほど元を取った。
スーパーのレジで三度見した日。
私は学んだ。
値上げの時代とはいえ、絹あげが十八万円になったら、さすがに店員さんに確認していい。
そして、レジ画面はたまに庶民の心臓を本気で試してくる。