その日、夫はいつもより機嫌よく帰宅した。
手には鮮やかなティファニーブルーの紙袋。
私は思わず目を奪われた。
誕生日でもない。
結婚記念日でもない。
それでも、たまにはサプライズだってあるかもしれない。
そんなことを考えながら、少しだけ胸が弾んだ。
夫は得意げな顔で言った。
「はい、これ君へのプレゼント」
私は驚きながら袋を受け取った。
重い。
アクセサリーにしては妙に重い。
不思議に思いながら中を覗く。
そこに入っていたのは――
大きな玉ねぎがいくつも入っていた。
私は言葉を失った。
すると夫は大笑いしながら言った。
「びっくりした?」
「会社の社長の奥さんからもらったんだよ」
「お前、何だと思った?」
「ほら、新鮮だから早く玉ねぎ炒めでも作ってよ」
まるで大成功したいたずらみたいに笑っている。
でも私は笑えなかった。
本当に笑えなかった。
もちろん玉ねぎが悪いわけじゃない。
社長の奥さんの厚意にも何の問題もない。
たぶん夫にとっても、ただの冗談だったのだと思う。
だけど私は袋を見た瞬間に期待してしまった。
期待した自分が恥ずかしかった。
結婚してから何年も。
私は夫のために料理を作り、家のことをしてきた。
誕生日も。
結婚記念日も。
母の日も。
何か欲しいと言ったことはほとんどない。
高価なものが欲しかったわけじゃない。
ただ、
「いつもありがとう」
その一言が欲しかっただけだった。
でも夫は私の期待を知りながら笑った。
期待した私を笑った。
その瞬間、胸の奥で何かが音を立てて折れた気がした。
私は黙って玉ねぎの皮をむいた。
包丁を入れる。
目が痛い。
涙が出る。
夫はリビングでテレビを見ながら笑っている。
私は玉ねぎを切り続けた。
涙が止まらない。
でも途中で気づいた。
これは本当に玉ねぎのせいなのだろうか。
違う。
私は悲しかったのだ。
大切にされていると思いたかった。
愛されていると思いたかった。
でも夫にとって私は、笑いのネタにしてもいい存在だった。
私は包丁を置いた。
もう無理だった。
エプロンを外し、荷物をまとめた。
そして実家へ向かった。
夫から電話が来た。
「また何怒ってるんだよ」
「冗談だろ?」
「そんなことで家出する?」
私は何も言わなかった。
夫は最後まで分かっていなかった。
玉ねぎが原因じゃない。
ティファニーが原因でもない。
私が傷ついたのは、
何年も積み重なった「軽さ」だった。
気持ちを伝えても笑われる。
寂しいと言っても流される。
我慢して当然だと思われる。
そんな毎日の積み重ねだった。
あの日、私が実家へ帰ったのは夫への抗議ではない。
ずっと後回しにされてきた自分自身を守るためだった。
私は初めて、自分の気持ちの味方をした。
そして気づいた。
人は一度の冗談で離れていくわけじゃない。
何度も何度も軽く扱われた先で、
ある日突然、
心が限界を迎えるだけなのだと。
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