「また怒られるから……。」
娘がそうつぶやいた時、私は意味が分かりませんでした。
まさか、その一言がここまで深刻な結果を招くなんて思ってもいなかったのです。
数日前のことでした。
娘は職員室へ行き、近くにいた保健室の先生に声を掛けました。
「すみません。○○先生はいらっしゃいますか?」
すると先生は娘の顔を見るなり、ため息をつきました。
「はぁ?見て分からない?今、職員室には私しかいないけど?」
娘は慌てて頭を下げます。
「すみません……。」
ところが先生はさらに、
「眼球ついてる?見えないの?いないって分かったなら、早く帰ってくださーい。」
と言い放ったそうです。
娘は何も言えず、そのまま教室へ戻りました。
私は話を聞いて耳を疑いました。
「○○先生は今いないよ。」
その一言で終わる話ではないでしょうか。
それ以来、娘は保健室を極端に嫌がるようになりました。
そして数日後。
技術の授業中、カッターナイフで指を深く切ってしまいました。
血が止まらず、担任の先生が驚いて言いました。
「すぐ保健室へ行って!」
しかし娘は首を横に振ります。
「これくらい大丈夫です。」
「大丈夫じゃない。ちゃんと診てもらって。」
先生に何度も言われ、娘はしぶしぶ保健室へ向かいました。
ドアを開けると、先生は机から顔も上げずに言いました。
「え、なに?」
娘は恐る恐る答えます。
「授業で指を切ってしまって……先生に保健室へ行くように言われました。」
すると先生は眉をひそめ、
「は?今?先生のせいにしないでもらえる?」
娘はまた何も言えませんでした。
消毒だけして教室へ戻ったそうです。
それから数日。
傷口は痛み続けていました。
でも娘は誰にも言いませんでした。
「また保健室へ行け」と言われるのが怖かったからです。
痛くても我慢。
膿が出ても我慢。
包帯だけ自分で巻き直しながら学校へ通っていました。
ある日の夜、食事の準備をしていると、娘がお箸を落としました。
「あれ?」
見ると、指先が紫色に腫れ上がり、一部は黒く変色していたのです。
私は血の気が引きました。
「なんでこんなになるまで黙ってたの!」
すぐに夜間救急へ向かいました。
診察した医師は傷を見るなり表情を変えました。
「感染しています。
もっと早く処置していれば、ここまで悪化しなかったでしょう。」
私は娘を見ました。
娘はうつむいたまま、小さな声で言いました。
「保健室に行きたくなかった……。」
その一言で、私はすべてを理解しました。
翌日、学校へ向かい校長へ事情を説明しました。
最初は「誤解ではないでしょうか」と言われましたが、担任の先生が口を開きました。
「実は娘さん、保健室へ行くのを何度も拒んでいました。
理由を聞いても話してくれませんでした。」
さらに調べると、同じような経験をした生徒が何人もいたそうです。
「怖くて相談できなかった。」
「怒られるから行きたくなかった。」
そんな声が次々と集まり、学校は保護者説明会を開くことになりました。
校長は深く頭を下げ、
「子どもたちが安心して助けを求められる環境を作れなかったことを、お詫びします。」
と謝罪しました。
保健室の先生は担当を外れ、学校全体で対応を見直すことになりました。
帰り道、娘が私にぽつりと言いました。
「痛かったのは指じゃないよ。」
「助けてって言う方が、もっと怖かった。」
私はその言葉を、一生忘れないと思います。
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