妊婦健診の日、私は妊娠後期のお腹を抱えながら総合病院の産婦人科で順番を待っていた。
真夏の暑さに耐えきれず、首にはハンディファンを掛けていた。
すると隣に座っていた妊婦さんの旦那さんが笑顔で話しかけてきた。
「それ、いいですね。」
私は「今日は暑いですね」と返した。
ところが次の瞬間、
「妻が暑がってるので、そのハンディファン貸してください。」
と言われた。
私は苦笑いしながら答えた。
「すみません、私も妊娠後期で暑くて……。風だけなら送りますね。」
そう言って奥さんの方へ風を向けた。
その瞬間だった。
夫婦は顔を見合わせ、急に表情を変えた。
「貸してくださいって言いましたよね?」
「なんで貸せないんですか?」
私は驚いて固まってしまった。
さらに旦那さんが私を見ながら、
「本当に妊婦なんですか?」
「ただのデブじゃん。」
と言い放つ。
奥さんまで笑いながら、
「そうそう、妊婦に見えない。」
と追い打ちをかけた。
待合室中の視線が私へ集まり、胸が締め付けられるようだった。
その騒ぎを聞きつけた助産師さんが駆け寄り、夫婦を見るなり、
「あら、またお二人ですか。
」
と静かに言った。
二人は別室へ案内され、私はようやく落ち着けると思った。
しかし数分後、廊下から大きな叫び声が聞こえた。
「お腹が痛い!」
見ると、さっきの奥さんがお腹を押さえてしゃがみ込んでいた。
すると旦那さんが突然私を指差し、
「こいつのせいだ!」
「妻がストレスで具合悪くなった!」
「責任取れ!」
と怒鳴り始めた。
私は恐怖で体が震え、お腹まで張り始めた。
助産師さんがすぐ私の異変にも気付き、
「あなたも診察しましょう。」
と診察室へ案内してくれた。
診察の結果、赤ちゃんに異常はなかったものの、強いストレスによるお腹の張りと診断され、その日は安静を指示された。
一方、病院は待合室の防犯カメラと、その場にいた患者さん全員から事情を確認した。
映像には、私が丁寧に断り、風を送ろうとしていたこと。
そして夫婦が一方的に暴言を浴びせていたことがはっきり映っていた。
医師も、
「今回の奥様の体調変化と、この患者さんに因果関係は認められません。」
とはっきり説明した。
その場でようやく夫婦は黙り込んだ。
私は夫へ連絡し、病院にも映像の保存をお願いした。
帰宅後、夫は静かに言った。
「今度はこっちが被害者だ。弁護士に相談しよう。」
私は診断書と診療明細、病院に残された映像の保全記録を受け取り、精神的苦痛と追加で発生した診察費用について相手側へ損害賠償を請求することを決めた。
数週間後、相手側は弁護士を通じて謝罪し、診察費と慰謝料を支払うことで示談を申し入れてきた。
あの日、私が守りたかったのはハンディファンではない。
お腹の中で必死に生きている、小さな命だった。
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