土曜の午後、駅前を通ったときだった。
いつもより人の流れが遅い。
見ると、歩道の端に警察官が並んでいた。
何か揉めているのかと思って視線を向けた瞬間、足が止まった。
日の丸の上に、黒いバツ印。
しかも一枚じゃない。
手に持った小さな旗にも、大きめの旗にも、同じように黒い線が入っていた。
最初は見間違いだと思った。
でも違った。
旗を持った数人が、駅前でそれを掲げていた。
何か主張があるのは分かる。
言いたいことがあるなら、言えばいい。
でも、国旗にバツをつけて、人通りの多い場所で見せつけるように掲げる。
そのやり方を見た瞬間、ただ不快だった。
周りの人も同じだったと思う。
スマホを向ける人。
眉をひそめる人。
でも、誰もすぐには声を出さない。
関わったら面倒になる。
その空気があった。
私も正直、そのまま通り過ぎようとした。
そのとき、旗を持っていた一人が、こちら側に見えるようにさらに腕を上げた。
近くの年配男性が小さく言った。
「そこまでやる必要あるのかね」
すると相手側の一人が、笑うように返した。
「見たくないなら見るなよ」
その言い方で、空気が変わった。
旗の問題だけじゃなくなった。
嫌な顔をした通行人を、わざと煽ったように見えた。
そのとき、私の前にいたスーツ姿の男性が振り返った。
四十代くらい。
手にはコンビニの袋と書類バッグ。
どこにでもいる普通の会社員という感じだった。
男性は警察官の位置を確認してから、少しだけ前に出た。
そして、静かに言った。
「それ、国旗にやることですか?」
声は大きくない。
でも、周りが黙っていたからよく通った。
旗を持っていた人がすぐに返す。
「表現の自由だろ」
男性は表情を変えずに言った。
「自由を言うなら、言葉で言えばいい。国旗にバツをつけて、通行人を不快にさせる必要はありますか」
そこで、近くにいた女性が続いた。
「子どもも通る場所ですよ」
別の男性も言った。
「主張があるなら看板に書けばいい。旗をそういう使い方にするのは違う」
相手側は声を大きくした。
「こっちは訴えてるんだよ」
「嫌なら通るな」
でも、そのたびに周りの目は冷めていった。
警察官がすぐに間に入り、落ち着いた声で言った。
「通行の妨げにならないよう、こちら側へ下がってください」
旗を持った人たちは不満そうにしながらも、少しずつ後ろへ下がった。
さっきまで歩道側に向けて高く掲げていた旗が、建物のほうへ寄る。
黒いバツ印も、通りから見えにくくなった。
その瞬間、年配の女性がスーツの男性に声をかけた。
「よく言ってくださいました」
男性は少しだけ会釈して言った。
「普通に嫌だっただけです」
その一言が、いちばん強かった。
怒鳴らない。
詰め寄らない。
でも、違うものは違うと言う。
駅へ向かいながら、私はもう一度だけ振り返った。
黒いバツ印の旗は、さっきより低い位置にあった。
大きな声を出していた人たちより、静かに一言を返した会社員のほうが、ずっと堂々として見えた。
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