仕事帰りだった。
その日は残業が長引き、夕飯を作る気力も残っていなかった。
スーパーの総菜コーナーを歩いていると、一つの蕎麦が目に入った。
赤い値引きシール。
「10%引」
少し得した気分になり、そのままカゴへ入れた。
399円。
税込430円。
別に高くも安くもない。
ただ、10%引なら悪くないと思った。
私は何も疑わずレジへ向かった。
会計を済ませ、荷物をまとめながらレシートを確認した時だった。
違和感を覚えた。
もう一度商品を見る。
レシートを見る。
値引きシールを見る。
そして固まった。
そこには、
値下げ後本体価格413円
税込446円
と書かれていた。
私は思わず声を漏らした。
「え?」
430円の商品が446円。
安くなるどころか16円高くなっている。
最初は自分の勘違いだと思った。
疲れているし、見間違えたのかもしれない。
だが何度見ても同じだった。
計算しても同じだった。
どう考えてもおかしい。
私はそのままサービスカウンターへ向かった。
事情を説明すると、若い店員は困った顔をした。
「少々お待ちください」
数分後、別のスタッフがやって来た。
商品を見て、
レシートを見て、
そして首をかしげた。
だが返ってきた言葉は予想外だった。
「システム上は問題ありません」
私は思わず聞き返した。
「430円の商品が446円になるのにですか?」
「担当者を呼びますので……」
その後も曖昧な説明が続いた。
周囲には少しずつ人が集まり始めていた。
買い物帰りの主婦。
仕事帰りの会社員。
みんな商品と値札を見比べている。
やがて店長が現れた。
私は商品を差し出した。
「これを説明してください」
店長は一瞬だけ表情を曇らせた。
だが次の瞬間、
「こちらへどうぞ」
そう言って奥の会議室を指した。
私はすぐに理解した。
ここで終わらせたいのだ。
返金して、
謝罪して、
見えない場所で片付けたいのだ。
私は首を横に振った。
「行きません」
店長は驚いた顔をした。
「お客様、こちらで詳しく……」
「なぜですか?」
私は遮った。
「問題がないなら、ここで説明できますよね?」
周囲が静まり返る。
私は続けた。
「私は16円が欲しくて来たわけじゃありません。」
「もし私が気付かなかったら、この商品を買った人は全員『安くなった』と思い込んだままですよね?」
店長は何も言わなかった。
「これは私一人の問題じゃありません。」
「売り場全体の問題です。」
「だからここで説明してください。」
周囲の客たちも頷き始めた。
「確かにおかしいな」
「俺も買うところだった」
そんな声まで聞こえてくる。
店長は無言で商品を持ち上げた。
そして本部へ電話を始めた。
五分ほど経った頃だった。
店長が深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。ラベル設定に誤りがございました。
」
売り場の空気が変わった。
すぐに従業員が集められた。
同じ値引きシールが貼られた商品は次々と回収されていく。
売り場では貼り替え作業が始まった。
ようやく店長が私の方を向いた。
「ご指摘いただきありがとうございました」
私は小さく頷いた。
正直、16円なんてどうでもよかった。
本当に腹が立ったのは、
間違いそのものではない。
誰も気付かなければそのまま売り続けるつもりだったこと。
そして最初に会議室へ連れて行こうとしたことだった。
大きな詐欺は誰でも警戒する。
だが市場を壊すのは、案外こういう小さな間違いなのかもしれない。
「たった16円」
そう笑う人もいるだろう。
だが私は思う。
信頼は1円ずつ失われる。
だからこそ、小さな違和感を見逃してはいけないのだと。
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