朝の商店街は、まだ静かだった。
シャッターを開ける店もまばらで、通りにはパン屋の焼き上がる匂いだけが漂っている。
私はいつも通り、自分の店の前に立った。
鍵を出して、シャッターを開けようとして――
その瞬間、違和感に気づいた。
「……ん?」
シャッターの真ん中に、白い紙が貼ってある。
しかも、ガムテープでしっかりと。
私は思わず手を止めた。
「なんだこれ…」
近づいてみる。
手書きだ。
しかも、かなり大きな字。
そして、内容を読んだ瞬間――
私は完全に固まった。
「お家さんにスイカおいてないって言われて
兄がいじめて休みます」
……は?
一瞬、意味が理解できなかった。
「お家さん?」
「スイカ?」
「兄がいじめて休みます?」
頭の中で文章を分解しながら、私はもう一度読み直した。
どうやら、子どもの書いた文章らしい。
字の大きさもバラバラだし、ところどころ日本語も怪しい。
でも、なんとなく意味は伝わる。
たぶんこれは、
「お母さんにスイカ置いてないって言われて、兄がいじめるので休みます」
……ということらしい。
私は思わずつぶやいた。
「いや、学校の連絡帳じゃないんだから…」
しかも、なぜそれを
うちの店のシャッターに貼る?
さらによく見ると、横にもう一枚小さい紙が貼ってあった。
小さい紙には、たった一言。
「なんで?」
その横に、赤ペンで丸が付いている。
まるで、先生が添削したみたいだ。
私は思わず笑ってしまった。
「いやいや…誰のやり取りだよこれ」
通りかかった近所のおじさんが、こちらを見て言った。
「店主、どうした?」
私は紙を指さした。
「これ、見てくださいよ」
おじさんは近づいて、貼り紙を読む。
そして、数秒後。
「……ぷっ」
吹き出した。
「なんだこれ」
「わからないです」
「誰が貼ったんだ?」
それが、私にも分からない。
でも一つだけ分かることがある。
これは、
かなり本気で書いてある。
ふざけている感じではない。
むしろ、必死だ。
「兄がいじめて休みます」
この一文なんて、かなり真剣だ。
そのとき、後ろから声がした。
「すみません…」
振り返ると、小学生くらいの男の子が立っていた。
ランドセルを背負っている。
しかも、少し気まずそうな顔をしている。
私は聞いた。
「この紙、君?」
男の子は、ゆっくりうなずいた。
「……はい」
「これ、なんでここに貼ったの?」
男の子は少し考えてから言った。
「お母さんがいなかったから」
「……うん?」
「学校の紙、出さないといけなくて」
なるほど。
つまりこれは、
学校の欠席連絡
だったらしい。
でも、問題はそこじゃない。
私は聞いた。
「なんで店のシャッター?」
男の子は真剣な顔で言った。
「ポストがなかったから」
私は数秒、言葉を失った。
そして思った。
ポストじゃないよここ。
ただの店のシャッターだよ。
しかもこの店、
ラーメン屋でも学校でもない。
横でおじさんが笑いをこらえている。
男の子はさらに続けた。
「あと、先生が“理由を書きなさい”って」
「それで、兄がいじめて…」
そこまで言って、男の子は少し黙った。
私は聞いた。
「兄、本当にいじめてるの?」
男の子は、少し考えてから言った。
「……スイカ食べた」
私は吹き出した。
どうやら、
スイカを巡る兄弟喧嘩
だったらしい。
しかもそれを理由に、
学校を休もうとしている。
おじさんは笑いながら言った。
「理由が平和すぎるだろ」
男の子は少し照れながら言った。
「でも、僕のスイカだった」
私はシャッターの貼り紙を見た。
大きな字で書かれた、
「兄がいじめて休みます」
そして横の紙の、
「なんで?」
私はゆっくり紙を剥がした。
男の子に渡す。
「これ、学校に出しな」
男の子はうなずいた。
「はい」
帰っていく背中を見ながら、私は思った。
世の中には、
大人が怒鳴り合うトラブルもある。
SNSで炎上するような問題もある。
でも、
スイカを食べられて学校を休む子ども
というのは、
なんだか少し平和な世界だった。
おじさんが笑いながら言った。
「今日の商店街ニュースだな」
私はシャッターを開けながら答えた。
「いや、これ絶対あとで笑い話になりますよ」
でも一つだけ思った。
もし今日、
あの子の兄がこの貼り紙を見たら――
きっと、
とんでもなく怒られるだろう。