あの日の朝のバスは、本当にぎゅうぎゅうだった。
通勤通学の時間帯で、通路まで人が詰まっていて、つり革につかまるのもやっと。私はなんとか中ほどに立てたけれど、少しでもバスが揺れると肩や腕がぶつかるような状態だった。
そんな中で、ひとつだけ妙に目立つ席があった。
前の方の二人掛けの窓側に座っていた女性が、通路側の席に大きめのバッグを置いていたのだ。
最初は「まあ、すぐどくかな」と思った。
でも次の停留所で何人か乗ってきても、その人はバッグを膝に移す気配すらない。むしろ誰かが近づくたびに、さっと腕を広げたり体をずらしたりして、「ここには来ないで」という空気をあからさまに出していた。
そのすぐ近くに、小学校低学年くらいの男の子がいた。
お母さんらしき人と一緒だったけど、車内は混みすぎていて、二人並んで立つのも難しそうだった。
男の子は細いポールに必死につかまっていたけど、バスがカーブを曲がるたびに足元がふらついて、そのたびにお母さんが片手で支えていた。
見ているこっちがハラハラした。
案の定、少し大きめのブレーキがかかった瞬間、男の子の体がぐらっと前に傾いた。
お母さんがとっさに引き寄せたから転ばずに済んだけど、あれは本当に危なかった。
私は反射的に、その席の女性に声をかけていた。
「すみません、そのバッグ、少しよけてもらえませんか。お子さん、危ないので」
女性はゆっくり顔を上げると、少し迷惑そうに眉をひそめた。
そして、いかにも自分は悪くないみたいな口調でこう言った。
「誰か来るんで」
その言い方が、妙に引っかかった。
でも車内を見回しても、その女性に向かって来る人なんていない。
というか、満員のバスで後から「ここ私の席です」みたいに来る人なんて、普通いないでしょうと思った。
私は一瞬だけ言葉に詰まったけど、すぐにまた言った。
「ずっと空いてますよね。お子さんが立っていて危ないです」
すると女性は小さくため息をついて、窓の外を見たまま、
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