「毎晩の話し声で眠れません。これ以上続くようでしたら管理会社へ報告します」
仕事から帰ってきて、玄関のドアを見た瞬間、私は固まりました。
白い紙が、茶色いテープでドアに貼られていたのです。
しかも、妙にきっちり真ん中に。
そこに書かれていたのが、その一文でした。
私はしばらく、その紙を見つめたまま動けませんでした。
毎晩の話し声?
うち?
いやいや、待って。
私は一人暮らしです。
彼氏を連れ込んだこともない。
友達を深夜に呼んだこともない。
そもそも平日は、仕事が終わったらコンビニでご飯を買って、帰って、お風呂に入って、気づいたらベッドで倒れているような生活です。
誰かと毎晩騒ぐ体力なんてありません。
部屋にいるのは私と、畳み損ねた洗濯物の山くらいです。
なのに。
「眠れません」
「管理会社へ報告します」
文面は丁寧なのに、圧がすごい。
まるで私の部屋で、毎晩深夜の飲み会でも開かれているみたいな書き方でした。
正直、最初は腹が立ちました。
「いや、誰とも喋ってませんけど?」
「部屋間違えてません?」
そう書いて、こっちも紙を貼り返そうかと思ったくらいです。
私は紙を外し、部屋に入り、バッグを置きました。
そして、スマホを手に取った瞬間。
少しだけ、胸の奥が冷えました。
最近、私はマッチングアプリで知り合った人と、毎晩電話していたのです。
最初は、本当に短い通話でした。
「今日も疲れたね」
「明日早い?」
「もう寝る?」
そんな他愛ない会話。
でも、その人の声が落ち着くというか、話していると一日の疲れが抜けるような気がして、気づいたら毎晩の習慣になっていました。
しかも、最後はだいたい寝落ち。
スマホを枕元に置いたまま、通話をつないだまま眠る。
朝起きると、通話時間が5時間を超えていることもありました。
でも私は思っていました。
小声だし。
一人だし。
電話なんだから、そこまで聞こえるわけない。
そう信じていました。
その夜。
私はいつも通り、彼からの電話に出ました。
でも、いつもと違って、少し落ち着きませんでした。
彼がすぐに気づきました。
「今日、なんか元気ない?」
私は少し迷ってから、玄関に貼られていた紙のことを話しました。
すると、彼は少し沈黙しました。
そして、気まずそうに笑って言いました。
「……正直、たまに声大きいよ」
私は固まりました。
「え?」
「眠くなってくると、急にテンション変になる時ある」
「え?」
「あと、笑い声はわりと響くタイプだと思う」
やめて。
追い打ちをかけないで。
私は自分では、深夜に上品な小声で会話しているつもりでした。
でも彼いわく、私は眠くなると急に声のコントロールが甘くなるらしい。
さらに、寝落ち寸前になると、同じ質問を何回もするらしい。
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