その投稿を見た時、最初は冗談だと思った。
「幼稚園から強制退園させられることって、本当にあるの?」
スマホの画面に、そんな言葉が流れてきた。
添えられていた写真には、一枚の紙。
白い用紙。
中央に大きく「退園届」。
私は思わず画面を拡大した。
入園願書ではない。
連絡帳でもない。
行事のお知らせでもない。
退園届。
しかも、理由欄には、なんとも言えない文字が入っていた。
子どもの成長。
園の方針。
不一致。
そんな言葉が、紙の上に静かに並んでいる。
私は一瞬、息を止めた。
幼稚園って、そんな場所だったっけ。
泣いてもいい。
失敗してもいい。
走り回っても、こぼしても、うまく言葉にできなくても、少しずつ育っていく場所。
そう思っていた。
なのに、その紙はあまりにも事務的だった。
「合いませんでした」
「では、退園で」
そんな空気が、紙からにじんでいるように見えた。
もちろん、事情は外からは分からない。
園にも園の限界がある。
先生たちだって人間だ。
一人の子どもにつきっきりになれば、他の子を見る余裕がなくなることもある。
保護者との連携が取れなければ、現場が苦しくなることもある。
それは分かる。
分かるけれど。
でも、子どもの名前が書かれるはずの欄。
保護者が署名するはずの欄。
そこに「退園」という文字があるだけで、胸の奥がざらついた。
私は画面を閉じられなかった。
コメント欄は荒れていた。
「そんなの聞いたことない」
「うちの園でも遠回しに言われた」
「保育園ならあり得るけど幼稚園でも?」
「親の対応がよほどだったのでは」
「子どもがかわいそう」
いろんな声が並んでいた。
正義もある。
怒りもある。
冷静な意見もある。
そして、いつものように、何も知らない人の断定もある。
私はスマホを持ったまま、昔のことを思い出した。
うちの子も、入園したばかりの頃は大変だった。
朝、門の前で泣いた。
靴を脱がない。
帽子を投げる。
先生に抱えられて教室に入ったこともある。
連絡帳には、毎日のように「今日は少し不安そうでした」と書かれていた。
そのたびに、私は胃が痛くなった。
他の子は普通にできているのに。
うちだけ迷惑をかけているのではないか。
先生に嫌がられていないか。
そんなことばかり考えていた。
でも、その時の担任の先生は言ってくれた。
「大丈夫です。園に慣れる速さは、みんな違いますから」
その一言に、どれだけ救われたか分からない。
だからこそ、退園届の写真は刺さった。
もし、あの時の先生が違う人だったら。
もし、園の方針が違っていたら。
もし、私の子も「合わない」と判断されていたら。
そう考えると、他人事ではなかった。
一方で、園側の苦しさも想像した。
現場の先生は、毎日子どもたちを見ている。
安全を守る。
けがを防ぐ。
泣いた子を抱きしめる。
保護者に説明する。
行事も準備する。
その中で、どうしても対応が難しいケースが出ることもあるのだろう。
でも、それでも。
「退園」という言葉は重い。
子どもにとっては、ただの手続きではない。
毎日通っていた場所。
先生の顔。
友達の名前。
自分のロッカー。
靴箱。
園庭。
それら全部から、急に切り離されることになる。
大人は「環境を変える」と言う。
でも、子どもには「追い出された」と感じるかもしれない。
その違いは大きい。
私は投稿を見ながら、ずっとモヤモヤしていた。
誰が悪いのか。
園なのか。
親なのか。
制度なのか。
子どもの特性を受け止めきれない現場なのか。
それとも、外から見えない事情が積み重なった結果なのか。
簡単には決められない。
でも、一つだけ思った。
子どもの居場所をなくす時、その紙一枚で済ませてはいけない。
「合わないので退園」
そんな簡単な話ではない。
そこに至るまでに、話し合いはあったのか。
支援の提案はあったのか。
専門機関への相談はあったのか。
保護者は納得していたのか。
子ども本人の気持ちは、どこかで聞かれたのか。
その全部が見えないまま、紙だけが出てくるから怖い。
そして、ネットでは一瞬で燃える。
先生も親も子どもも、全員が傷つく。
画面の中の退園届は、ただ静かに写っていた。
でも、その裏にはきっと、泣いた朝や、話し合いの夜や、眠れなかった親の時間がある。
先生側にも、悩んだ時間があるのかもしれない。
だから余計に、軽々しく笑えなかった。
幼稚園から強制退園。
そんなこと本当にあるのか。
私はその投稿を見るまで、ほとんど考えたことがなかった。
でも、あるのだろう。
現実には。
しかも、想像よりずっと近い場所で。
最後に私は思った。
子どもは、最初から園にぴったり合う形で生まれてくるわけではない。
園も、どんな子でも完璧に受け止められる魔法の場所ではない。
だからこそ、大人同士が雑に切ってはいけない。
「不一致」という言葉で終わらせる前に、何を合わせられるのか、何を変えられるのか、もう少し考えてほしい。
退園届は紙一枚。
でも、子どもの記憶には、もっと深く残る。
大人の都合で押された印鑑が、子どもの心にまで押されないことを願うしかない。