その日の新幹線は、昼過ぎの便だった。
車内はそこまで混んでおらず、座席も半分ほど埋まっている程度。多くの乗客がスマホを見たり、イヤホンをして静かに過ごしていた。
私も同じように、スマホを見ながらゆっくり座っていた。
しばらくして、前の席に違和感を覚えた。
何かが、視界の端に入っている。
ふと目を上げた瞬間、思わず固まった。
前の座席の横から、裸足が突き出ていた。
最初は何が起きているのか分からなかった。
よく見ると、前の席に座っている女性が靴を脱ぎ、足をこちら側の座席スペースに伸ばしているのだ。
床を見ると、ヒールが片方ずつ転がっていた。
完全にくつろぎモードだった。
私は一瞬、目を疑った。
新幹線の座席でここまで堂々と足を伸ばす人は、正直初めて見た。
しかもその足の位置が問題だった。
ほぼ私の座席スペースに入り込んでいる。
つまり私は、ほぼ他人の足の横で座っている状態だった。
正直かなり不快だったが、日本の電車ではよくあるように、周囲は誰も何も言わない。
隣の乗客も気づいているはずだが、視線をそらしている。
「……まあ、そのうち足を下ろすだろう。
」
そう思って、しばらく様子を見ることにした。
しかし10分経っても、女性は全く動かない。
むしろ完全にリラックスしている。
スマホを見ながら、足をゆらゆら揺らしていた。
さすがに限界だった。
私は静かに声をかけた。
「すみません。」
女性はゆっくり顔を上げた。
「はい?」
私はできるだけ穏やかに言った。
「その足、ちょっとこちらのスペースに入っているので……下ろしてもらえますか?」
すると女性は一瞬だけ私を見て、驚いたような顔をした。
そして信じられないことを言った。
「え?」
少し眉をひそめて、こう続けた。
「じゃあ、そっちの席ちょっと前に倒してくれません?」
私は一瞬理解できなかった。
「え?」
女性は平然とした顔で言った。
「足伸ばしてるんで。」
まるでそれが当然の要求であるかのようだった。
私は思わず聞き返した。
「いや……ここ私の席なんですけど。」
女性は肩をすくめた。
「でも当たってないですよね?」
その言い方は完全に開き直っていた。
その瞬間、後ろの席から小さく笑う声が聞こえた。
「いや、それは無理でしょ。」
振り向くと、スーツ姿の男性がこちらを見ていた。
さらに通路側の女性も言った。
「普通逆ですよね。」
車内の空気が少しずつ変わり始めた。
女性は初めて周囲を見回した。
どうやら、自分が思っているより多くの人に見られていることに気づいたらしい。
数秒の沈黙。
そして通路側の男性がぽつりと言った。
「それ、前の人の席ですよ。」
完全に空気が決まった瞬間だった。
女性は一瞬だけ顔をしかめた。
そして小さく舌打ちをすると、
「……はいはい。
」
そう言って、ようやく足を下ろした。
床に転がっていたヒールを拾い、無言で履き直す。
そのままスマホを見始めたが、さっきまでの余裕は完全になくなっていた。
車内は再び静かになった。
私は背もたれに体を預け、窓の外を見た。
さっきまでの出来事が、少しだけ信じられなかった。
ただ一つだけ思ったことがある。
公共の場では、「自由に振る舞うこと」と「人に迷惑をかけること」は違う。
それを理解している人と、そうでない人がいるだけの話なのかもしれない。