その日、乗った電車は地方のローカル線だった。
昼間の時間帯で、車内はそれほど混んでいない。数人の乗客が静かに座り、スマホを見たり、ぼんやり窓の外を眺めたりしている。都会の通勤電車のような慌ただしさはなく、どこかゆったりした空気が流れていた。
私は空いている席に座り、電車の揺れに身を任せていた。
次の駅でドアが開いた瞬間だった。
車内に入ってきた光景を見て、思わず目を疑った。
おばあちゃんが、自転車ごと電車に乗り込んできたのだ。
しかも折りたたみ自転車ではない。前かごの付いた、いわゆる普通の買い物用の自転車。
おばあちゃんは特に慌てる様子もなく、ゆっくりと自転車を押して車内に入り、ドア付近のスペースに止めた。そしてそのまま近くの座席に座る。
その動きはあまりにも自然だった。
だが私は思わず周囲を見回した。
「え……?電車に自転車?」
都会で生活していた私の感覚では、まずあり得ない光景だった。普通は自転車を電車に持ち込む場合、輪行袋に入れるか折りたたむ必要がある。
そのまま車内に持ち込むなど、駅員に注意されてもおかしくない。
しかし不思議なことに、車内の乗客は誰も驚いた様子がない。
隣の若い男性はスマホを見たままだし、向かいの席の中年男性は新聞を読み続けている。
まるで、これが当たり前の風景であるかのようだった。
その時だった。
車内の後ろの方から、少し強い口調の声が聞こえた。
「ちょっと、それダメじゃないの?」
声の主はスーツ姿の男性だった。どうやら都会から来た人らしく、明らかに不満そうな顔をしている。
「電車に自転車って、普通ダメですよね?」
車内の空気が一瞬だけ変わった。
おばあちゃんは少し驚いた顔をしたが、何も言わずに座ったままだった。
すると近くに立っていた男性が、落ち着いた声で言った。
「ここは大丈夫ですよ。」
スーツの男性は眉をひそめた。
「え?」
その男性は床を指さした。
「この路線、サイクルトレインなんです。」
スーツの男性は一瞬言葉を失ったようだった。
「サイクルトレイン?」
近くの乗客が少し笑いながら説明した。
「この辺の電車は、自転車そのまま乗せていい時間帯があるんですよ。」
「折りたたまなくても?」
「はい、そのままで大丈夫です。
」
車内に小さな笑いが広がった。
スーツの男性は少し恥ずかしそうに頭をかいた。
「そうなんですか……」
そして小さく言った。
「知らなかった……」
その様子を見て、おばあちゃんが初めて口を開いた。
「ここはねぇ、みんなこうして乗るんよ。」
優しい口調だった。
「買い物行くときも便利だからねぇ。」
車内の空気がふっと緩んだ。
その時、次の駅でドアが開いた。
今度は若い男性がロードバイクを押して乗ってきた。
彼もまた、何の迷いもなく自転車を車内に入れる。
気がつけば、車内には二台の自転車が並んでいた。
それでも誰も文句を言わない。
むしろ自然な光景だった。
スーツの男性は苦笑しながら言った。
「都会じゃ絶対怒られますね。」
すると近くの乗客が笑って答えた。
「ここじゃ普通ですよ。」
電車はゆっくりと次の駅へ向かって走っていく。
おばあちゃんは降りる準備をしながら、自転車のハンドルを握った。
ドアが開くと、そのまま自転車を押してホームへ降りていく。
とても自然な動きだった。
まるで、それが当たり前の毎日であるかのように。
電車が再び走り出す。
私は窓の外を見ながら思った。
都会では「非常識」に見えることでも、この町ではごく普通の風景なのかもしれない。
そしてその違いこそが、
このローカル線の面白さなのだろう。