朝、管理会社の事務所で郵便物を整理していた時だった。
一通の封筒が目に入った。
差出人の名前には見覚えがある。
以前、うちの管理物件に住んでいた入居者だった。
正直、その名前を見た瞬間、嫌な予感しかしなかった。
家賃未払い。
室内の残置物。
連絡不能。
そして、突然の退去。
いわゆる夜逃げに近い形で、部屋からいなくなった人だ。
当時は本当に大変だった。
電話はつながらない。
メールにも返事がない。
部屋には荷物が残っている。
冷蔵庫の中身もそのまま。
郵便物も積まれている。
家賃は止まっている。
こちらとしては、安否確認なのか、退去処理なのか、滞納対応なのか、全部同時に進めなければならなかった。
不動産管理という仕事は、鍵を預かって家賃を確認するだけではない。
人が突然消えた時、その後始末まで全部こちらに来る。
大家さんへの説明。
保証会社との連絡。
残置物の扱い。
部屋の確認。
次の募集をどうするか。
その一つ一つに時間も手間もかかる。
それなのに本人は不在。
まるで台風だけ置いて、本人だけ晴れた国へ帰ったようなものだった。
封筒を開けると、中には手紙と鍵が入っていた。
手紙は丁寧な文体だった。
「ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません」
そこまでは、まだ分かる。
続きには、ビザの事情によりネパールへ帰国したこと。
現在は賃貸していた部屋に住んでいないこと。
部屋は他の人に貸して構わないこと。
鍵は友人に預けていたので、その友人が転送したこと。
そんな内容が書かれていた。
私は読みながら、思わず深く息を吐いた。
いや、今?
今それを言う?
住んでいないことは、こちらも知っています。
むしろ、知りたくない形で知りました。
鍵を返すのも大事だ。
それは分かる。
でも、鍵だけ返せば全部終わるわけではない。
未払い家賃。
残置物。
原状回復。
契約上の責任。
そこはどこへ行ったのか。
読み進めると、さらに目が止まった。
「今後、再びビザを取得して日本へ戻ることができましたら、未払いの費用を清算いたしましたら、可能であれば再度貴社のお部屋をお借りしたいと考えております」
私は数秒、紙を見つめた。
そして小さく声が出た。
「いや、メンタル強すぎんか」
未払いもある。
荷物も残した。
連絡も途切れた。
その後始末をこちらに背負わせた。
それで、戻ってきたらまた貸してほしい。
順番が独特すぎる。
まず謝罪。
次に清算。
そこまではいい。
でも、その流れで「また借りたい」は、なかなかの急カーブだった。
高速道路で突然Uターンするくらい危ない。
私は椅子に座り直し、もう一度手紙を読んだ。
文章だけ見れば丁寧だ。
言葉遣いも乱暴ではない。
しかし、丁寧な言葉で包めば何でも許されるわけではない。
「ご理解とご配慮を賜りますよう」
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