池袋で焼き鳥が食べたくなった。
仕事終わりだった。
腹は減っている。
頭の中は、もう完全に焼き鳥だった。
炭火の匂い。
塩のきいた串。
冷たいお茶か、軽く一杯。
そんな気分で歩いていたら、目に入ったのが大衆酒場の看板だった。
「生中」「親皮串」
外の光る看板が、いかにも入りやすそうに見えた。
私は迷わず店に入った。
店内はにぎやかだった。
照明は少し暗めで、居酒屋特有の油とタレの匂いがする。
席に案内され、私はメニューを開いた。
その瞬間、少し違和感があった。
焼き鳥を食べに来た。
なのに、焼き鳥らしい焼き鳥がほとんど見当たらない。
何度もメニューを見直した。
串の欄。
おすすめ。
鶏。
焼き物。
探しても探しても、出てくるのは鶏皮ばかり。
私は顔を上げた。
「すみません、焼き鳥って鶏皮だけですか?」
店員さんは、悪びれる様子もなく答えた。
「はい、今は鶏皮になります」
その瞬間、私の中の焼き鳥気分が静かに死んだ。
鶏皮が嫌いなわけではない。
むしろ好きだ。
でも、今日は鶏皮だけを食べに来たわけではない。
ねぎま。
もも。
つくね。
砂肝。
そういう普通の焼き鳥を想像して入ったのだ。
なのに、席に座ってから「鶏皮のみです」は、さすがに予想外だった。
私はすぐ判断した。
ここで無理に食べる必要はない。
店に入って一分も経っていない。
まだ何も食べていない。
だったら、出よう。
「すみません、焼き鳥を食べたかったので、今回は出ます」
そう言おうとした時だった。
店員さんがウーロン茶を持ってきた。
「あ、ウーロン茶です」
私は一瞬、固まった。
そういえば、席についた流れで飲み物を聞かれ、反射的にウーロン茶を頼んでいた。
まだ口もつけていない。
でも、もう運ばれてきてしまった。
ここで揉めるつもりはなかった。
私は普通に言った。
「すみません、ウーロン茶のお金だけ払って出ます」
それで終わると思っていた。
本当に、そう思っていた。
ところが、出てきた会計を見て、私は目を疑った。
ウーロン茶だけではない。
席料。
お通し。
しっかり乗っている。
滞在時間、一分。
食べ物、なし。
飲み物、口をつける前。
それでも、席料とお通しは発生するらしい。
私はレシートを見ながら、頭の中で何度も計算した。
いや、席には座った。
確かに座った。
でも一分だ。
まだ店の空気に体がなじむ前だ。
お通しも、楽しむどころか、存在すらほぼ確認していない。
こちらは「メニューが希望と違うから出ます」と言っている。
それでガッツリ取るのか。
正直、気持ち悪いと思った。
金額の大きさだけではない。
その取り方の感じが嫌だった。
もちろん、店には店のルールがあるのだろう。
席料があります。
お通し代があります。
入店したら発生します。
そういう理屈は分かる。
でも、理屈として通ることと、客が納得できることは別だ。
入ってすぐ、目的のものがないと分かる。
すぐ出る。
それでも席料とお通しを取る。
その瞬間、店に対する印象は一気に変わった。
私はもう料理の味を知る前に、この店の後味だけを知ってしまった。
苦い。
ウーロン茶より苦い。
店員さんに文句を言うか迷った。
でも、言ってもどうせ「ルールなので」と返ってくる気がした。
こちらが食い下がれば、ただの面倒な客になる。
だから払った。
払ったけれど、納得はしていない。
レシートを受け取った時、笑うしかなかった。
焼き鳥を食べに来たのに、食べたのは理不尽だけ。
しかも会計つき。
池袋の夜の風が、店を出た瞬間にやけに冷たく感じた。
外の看板はまだ派手に光っている。
生中。
鶏皮。
安そうな文字。
でも、その光の裏で、私の財布はしっかり削られていた。
私は歩きながら思った。
店に入る前に、メニューをもっと見ればよかった。
席に座る前に確認すればよかった。
飲み物を頼む前に、食べたいものがあるか聞けばよかった。
そういう反省はある。
でも同時に、店側にも思う。
客が何を求めて来たのか。
入ってすぐ出る理由が何なのか。
そこを少しでも考える気はないのか。
一分の滞在に、席料とお通し。
ルールとしては勝ちかもしれない。
でも、客の気持ちは完全に負ける。
いや、負けたのは客ではなく、店の信用かもしれない。
その夜、私は別の店で普通の焼き鳥を食べた。
ねぎまを一本食べた瞬間、ようやく心が戻った。
やっぱり、私が欲しかったのはこれだった。
鶏皮だけの店で一分座って、席料とお通しを払う体験ではない。
池袋は嫌いじゃない。
でも、こういう店に当たると一気に疲れる。
看板の明るさと会計の暗さが釣り合っていない。
次からは、入店前に確認する。
「焼き鳥ありますか?」
「鶏皮以外ありますか?」
「座った瞬間に何円発生しますか?」
居酒屋に入るだけで、契約書を読む気分になるとは思わなかった。
滞在一分。
口をつけていないウーロン茶。
席料とお通し。
その三点セットだけは、たぶん一生忘れない。