夫は東大卒だ。
学生時代から成績優秀。
今でも新聞を読めば経済を語り、ニュースを見れば国際情勢を解説する。
正直、私は半分も理解できない。
だから夫は時々こう言う。
「君とは学術的な話ができないな」
もちろん悪気はない。
でも私はそのたびに心の中で思う。
――この人、スーパーに行ったら毎回負けるのに。
ある休日、夫と買い物に出かけた。
歯ブラシ売り場で夫が立ち止まる。
「そろそろ交換しよう」
私は一本だけカゴに入れた。
すると夫が隣の商品を手に取った。
「こっちにしよう」
「二本買うとお得って書いてあるぞ」
自信満々だった。
私は値札を見て思わず吹き出した。
「本当にお得?」
夫は首を傾げる。
私は値札を指差した。
一本321円。
二本セットは1166円。
夫の目が大きくなった。
「えっ?」
「ちょっと待て」
スマホの電卓を出して計算し始める。
私は笑いをこらえながら見ていた。
数秒後。
夫は静かに言った。
「二本買う方が高いじゃないか……」
私は頷いた。
「まとめ買い=お得じゃないの」
「単価を見るのが先」
夫は少し悔しそうだった。
だが本当の授業はここからだった。
次に牛乳売り場へ向かう。
夫は一番手前の牛乳を手に取った。
「賞味期限が長いのを選ばないとな」
私は奥から一本取り出した。
夫が不思議そうな顔をする。
「賞味期限を見ないの?」
「見なくても分かるよ」
「補充するときは奥から並べるでしょ?」
「だから新しい牛乳はだいたい奥にある」
夫はしばらく牛乳棚を見つめていた。
そして一言。
「なるほど……」
さらに卵売り場。
夫は真っ先に一番安い商品を手に取った。
私は別の商品を選ぶ。
「なんで?」
と聞かれたので答えた。
「安い商品が悪いわけじゃないよ」
「でも売れてる商品は回転が速い」
「回転が速い商品ほど鮮度も安定する」
夫はまた黙った。
最後はパン売り場だった。
夫は値引きシールの貼られたパンを嬉しそうに持ってきた。
「これはお得だろ?」
私は賞味期限を見た。
そして首を横に振る。
「今日中に食べるならね」
「でも明日の朝用なら別の商品の方がいい」
「食べ切れずに捨てたら、安く買っても意味がないでしょ」
夫は完全に言い返せなくなっていた。
帰宅後。
買い物袋を片付けながら夫がぽつりと言った。
「俺、東大出てるんだよな……」
私は笑った。
「知ってるよ」
夫は苦笑いしながら続けた。
「でも今日だけで何回負けた?」
「スーパーのこと、全然分かってなかった」
私は肩をすくめた。
「毎日やってるからね」
すると夫は急に真面目な顔になった。
「正直、家庭のことって誰でもできると思ってた」
「でも違うな」
「限られた予算で買い物して、鮮度を見て、無駄を減らして、家族の食事を考える」
「これって立派な仕事だ」
私は少し照れくさくなった。
すると夫は笑いながら言った。
「学術的な話では勝てるかもしれない」
「でも生活力では完全敗北だ」
そして最後にこう言った。
「家庭主婦も立派な職業だよ」
「うちの家計を支えてるのは君だ」
「君が一番優秀なリーダーかもしれないな」
その日以来。
夫はスーパーで何かをカゴに入れる前に、
必ず私を見るようになった。
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