GW最終日。
新幹線の車内は、朝から異様な空気だった。
通路には人。デッキにも人。
自由席はもちろん満席、指定席ですらギリギリ。
私はようやく確保した指定席に座り、小さく息を吐いた。
「やっと座れた……」
でも次の瞬間、違和感に気づいた。
私の座席の後ろ――
本来なら「特大荷物スペース」として予約制になっている場所に、黒い大型スーツケースが三つ、無造作に置かれていたんだ。
しかも、持ち主がいない。
私は一瞬、背筋が冷えた。
今の時代、放置荷物なんて普通に怖い。
周囲の乗客も、チラチラ見ている。
でも誰も何も言わない。
日本人特有の、「関わりたくない空気」が車内に漂っていた。
ただ、私はこのスペースを知っていた。
ここ、本来は予約制だ。
大型荷物を持ち込む人が、事前予約して使う場所。
つまり、勝手に置いていい場所じゃない。
なのに――
発車して十分後くらいだった。
デッキの奥から、40代くらいの男が缶ビール片手に戻ってきた。
そして当然のように、そのスーツケースの横へ立った。
……こいつか。
私は思い切って声をかけた。
「すみません、そこ予約スペースですよね?」
すると男は、面倒くさそうに私を見た。
「は?空いてたから置いただけだけど?」
謝罪なし。
悪びれもなし。
さらに男は鼻で笑った。
「細けぇなぁ」「誰も使ってないじゃん」
周囲が静かになる。
でも、誰も味方してくれない。
男は続けた。
「こういう融通利かねぇ奴いるよな」
私は言葉を失った。
するとその時。
車両の前方から、小さな子どもを連れた家族が来た。
父親。母親。ベビーカー。
そして、巨大なキャリーケース。
お父さんが、予約票を確認しながら言った。
「ここですね」
……やっぱり。
本来の予約者だった。
母親は困った顔で、放置された荷物を見ている。
でも男は、まったく動こうとしない。
それどころか、
「他に置けば?」
と平然と言ったんだ。
空気が凍った。
子どもは疲れ切って泣きそう。
母親は何度も頭を下げる。
なのに男は、ビールを飲みながらスマホを見ている。
正直、信じられなかった。
すると。
さっきまで黙っていた年配の男性が、静かに非常通話ボタンを押した。
数分後。
車掌が来た。
事情を聞くと、車掌はまず予約票を確認。
そして男へ向き直った。
「こちら、予約制スペースです」
男は即座に反論した。
「でも空いてたじゃん!」
車掌は表情を変えずに言った。
「現在ご利用のお客様が正式な予約者です」
「移動をお願いします」
すると男は舌打ちした。
「たかが荷物だろ?」
その瞬間だった。
車掌の声が、少し低くなった。
「ルールを守っていただけない場合、別の対応になります」
車内が静まり返る。
男も、ようやく空気を察したのか、笑顔が消えた。
でももう遅い。
周囲の視線が、完全に男へ集まっていた。
さっきまで“細けぇ奴”扱いされていた私ではなく――
今、浮いているのは完全に男の方だった。
結局男は、巨大な荷物を抱え、デッキへ移動することになった。
だがGW最終日。
当然、置き場所なんてない。
狭い通路で、人にぶつかりながら、汗だくで立ち尽くしていた。
一方、予約していた家族は、ようやく荷物を置けた。
お父さんは、車掌へ深く頭を下げた。
小さな女の子は、安心したのか、すぐ眠ってしまった。
私はその光景を見ながら、思った。
日本って、優しい人が多い。
でも同時に、“迷惑かけた者勝ち”みたいな空気も、確かにある。
だからこそ。
ちゃんと声を上げて、ちゃんとルールを守らせる人がいるだけで、空気は変わるんだなって。
あの日の新幹線は、静かだった。
でも、最後に一番居場所を失っていたのは――
「空いてるからいいだろ」と言っていた、あの男だった。