倒れた瞬間、頭に浮かんだのはたった一つ。
……子どもじゃなくてよかった。
膝がジンジン痛くて、肘は擦りむけて血がにじんでいた。
車はすぐ目の前で止まり、運転席からヨロヨロとおじいさんが降りてきた。
私は「大丈夫ですか?」って言われると思っていた。
でも違った。
第一声はこれ。
「……お金ないんです」
謝罪でもなく、心配でもなく、いきなり“金の話”。
続けてこう言われた。
「年寄りだから」
「ちょっと買い物に出ただけ」
「生活も楽じゃなくて」
声は小さくて、いかにも弱そうな感じ。
周りに人も集まってきて、
「お年寄りなんだから…」
「大したケガじゃなさそうだし…」
そんな空気になってきた。
正直、その瞬間、私もちょっとだけ心が揺れた。
でも。
立ち上がって車の方を見た時、
フロントガラスの“車検シール”が目に入った。
……違和感。
色が薄い。
角が浮いてる。
紙っぽい。
嫌な予感がして近づいて見ると、はっきり分かった。
これ、偽物。
一気に背筋が冷えた。
私はその場で警察に電話した。
すると、さっきまで弱々しかったおじいさんの態度が急変。
「そこまでする必要ある?」
「年寄り相手にひどいな!」
「多管闲事だろ!」
さっきまで“可哀想な老人”だった人が、急に怒鳴り出した。
この切り替えの早さ。
もう完全にアウトだと思った。
ほどなくして警察到着。
車両確認。
番号照会。
結果はすぐ出た。
・車検切れ(しかも何年も前)
・検査標章の偽造
・自賠責保険も失効
フルコンボ。
警察官が淡々と説明してくれた。
車検シールの偽造・不正使用は
3年以下の懲役または100万円以下の罰金。
無車検運行だけでも
免許停止レベルの重い違反。
つまりこれは、立派な重罪。
おじいさんは急に黙り込んで、下を向いた。
レッカー車が来て、車はそのまま持っていかれた。
私はというと、軽い擦り傷と打撲だけで、その日のうちに帰宅。
正直、治療費も交通費も、自分持ち。
補償?ありません。
でもね。
車が運ばれていくのを見た時、私は不思議とホッとした。
もし今日、私が「まあいいか」で流していたら。
もし「お年寄りだから」で見逃していたら。
ブレーキも怪しい、保険もない、車検も切れた車が
そのまま普通に走り続けていた。
次に被害に遭うのは?
小学生かもしれない。
ベビーカーかもしれない。
そう考えたら、私は間違ってなかったと思う。
私は補償をもらえなかった。
でも今日ひとつ、確実に“危険な車”は道路から消えた。
それで十分。
優しさと甘さは違う。
命が関わる場所で、
「可哀想」は通用しない。