後視鏡に映ったのは――
中指。
次の瞬間、前の車が「ギャッ」と急ブレーキ。
シートベルトが食い込み、5歳の娘の体がガクンと前に持っていかれた。
心臓が跳ね上がる。
仕事中。助手席には娘。
なのに前の車の60代くらいの男は、こっちをチラチラ確認しながらまた急ブレーキ。
蛇みたいに進路を塞ぎ、窓からタバコをポイ。
分かってやってる。
「女ドライバー」
「子連れ」
「文句言わなそう」
そういう計算の顔だった。
私は一度だけ、短くクラクションを鳴らした。
警告のつもり。
すると娘が小さな声で聞いた。
「ママ…あの人、こわいの?」
その一言で、胸の奥の“母親スイッチ”が入った。
踏切で遮断機が下りた。
前の車も止まる。
私はシートベルトを外し、ドアを開けた。
足が地面についた瞬間、自分でも驚くほど声が出た。
「何しよんか!!子ども乗っとるんじゃ!!」
男はビクッと肩を跳ねさせた。
さっきまでの余裕顔が消え、目が泳ぐ。
完全に想定外の相手だったんだろう。
“おとなしい女”のつもりで絡んだら、出てきたのが“守る側の母親”。
男は目を逸らし、慌てて窓を閉め、逃げるように車を動かした。
――終わらせたかったんだと思う。
でも、焦った人間の運転は一番危ない。
その時、踏切前には交通整理中の警察官がいた。
男の車がフラつく。
ハンドル操作が遅れる。
「ドンッ!!」
鈍い音。
車体が揺れ、警察官の体が宙に浮いた。
時間が止まった。
周囲の空気が一瞬で冷える。
私の怒鳴り声より重い静寂。
さっきまで強気だった男は、ハンドルを握ったまま固まっていた。
自分が何をしたか、やっと理解した顔。
私は娘の元へ戻り、ドアを閉めた。
震えはもうなかった。
あの人は、
「女なら黙る」
「子連れなら引く」
そう思って運転していた。
でも現実が出した答えは違う。
あの一瞬で、証明された。
私が危なかったんじゃない。
あの人が、もう運転してはいけない側だった。
怒鳴ったことを後悔はしていない。
あれはケンカじゃない。
守る側の声だった。
そしてその後、
あの人が二度とハンドルを握れなくなったと聞いた。
正直、思った。
遅すぎたくらいだって。
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