扶梯って、あんなに静かなのに、たった一秒で世界がひっくり返る。
昨日、デパートのエスカレーターでそれを見た。
上りの列に並んでいて、前には買い物袋を抱えたお母さん。片手にはベビーカーじゃなくて、小さな荷物と、もう片方で幼稚園くらいの男の子の手を取ってた。
次の瞬間。
「……あっ!」
靴の先が、母親のタイミングだけ、ほんの少し遅れた。
エスカレーターの段差は容赦なく上へ動く。男の子は乗った。母親は乗れなかった。
その一秒で、親子が切れた。
男の子は上へ運ばれていく。母親は下で、赤ちゃんみたいに荷物を抱え直しながら、顔面蒼白で叫ぶ。
「○○! そこにいて! 動かないで!」
男の子は振り返った。
でも、もう母親は手が届かない距離で、声だけが追いかけてくる。
上に着いた瞬間の男の子の顔、忘れられない。
泣きそうなのに泣けない。目だけが大きくなって、出口の床に貼り付いたみたいに固まってた。
しかも最悪なのが、出口は“流れ”になってること。
買い物客がどんどん吐き出されてくる。大人の足、カート、ベビーカー、紙袋。視界は腰の高さまで全部“壁”。
このままだと、男の子が押されて、ふっと横に流されて、角の死角に消える。
迷子って、こうやって生まれるんだと、背中が冷たくなった。
――その時だった。
男の子の横にいた、地味な服の中年の男性が、スッと動いた。
勢いよく掴むんじゃない。止めるように抱え込むんでもない。
ただ、男の子の前にしゃがんだ。
目線を合わせて、びっくりするほど落ち着いた声で言った。
「大丈夫。ここで待とう。ママ、すぐ来るよ」
男の子の喉がひくっと鳴った。
次の瞬間、まるで堤防が決壊するみたいに——
小さな手が「ぱっ」と伸びて、その男性の指を掴んだ。
握力なんて弱いはずなのに、必死で、離したら終わりだと分かってる握り方だった。
そこから、空気が変わった。
さっきまで“流れ”だった出口に、目に見えない丸い空間ができた。
近くにいた女性が半歩ずれて、カートが当たらないように体で避けた。
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