私は「変態」になった。
その日が、産休に入る前の最後の出勤日だった。
いつもの時間、いつもの車両、いつもの立ち位置。
お腹はもう目立つくらい大きくて、正直、通勤だけで精一杯。
それでも、毎朝ひとつだけ救いがあった。
——いつも、同じ女性が、黙って席を譲ってくれること。
言葉は交わさない。
目が合えば、軽く会釈するだけ。
それが、何週間も続いていた。
だからその日、私は小さな勇気を出した。
バッグから取り出したのは、フェイラーのハンカチ。
特別な意味はない。
「ありがとう」と「しばらく会えません」の代わり。
私はそれを、そっと差し出した。
次の瞬間だった。
「ちょっと待って。
知らない人にプレゼント?
正直、気持ち悪くない?」
隣に立っていた人物が、
わざと聞こえる声量でそう言った。
車内が、一瞬で静まり返る。
視線が、私に集まる。
手は、宙に浮いたまま。
心臓だけが、やけにうるさい。
「最近こういう人多いよね。
妊婦アピールで、いい人ぶるやつ」
そしてその人は、
スマホを取り出した。
撮影。
迷いなし。
「証拠残しとこ。
みんなにも見せたほうがいいでしょ?」
——何の証拠?
私は何も言えなかった。
言葉を探しているうちに、
ストーリーはもう出来上がっていた。
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