駅から実家までは距離にして600mほど。
正直、元気な人なら歩ける距離だ。でも今日は母と一緒だった。
母は杖をつきながら、ゆっくり一歩ずつしか進めない。
この寒さと段差の多い道を歩かせるのは無理だった。
だからタクシーに乗った。
ただ、それだけのことだった。
ドアが閉まり、私は行き先を告げた。
「〇〇町の〇〇、実家の前までお願いします」
……返事がない。
「お願いします」も「はい」もない。
バックミラー越しに見える運転手の顔は、無表情というより、最初から私たちに興味がないような顔だった。
まあ、いる。こういう人。
短距離って分かった瞬間に態度が変わるタイプ。
私は母を安心させるように言った。
「すぐ着くからね」
母は前の座席に向かって丁寧に話しかけた。
「すみません、次の角を左に曲がってくださいね」
……返事ゼロ。
もう一度。
「運転手さん、その先で……」
やっぱり無視。
車内の空気が、じっとりと重くなる。
母の手が杖をぎゅっと握りしめた。
私はまだ我慢していた。
“短距離だし、すぐ終わる”
そう思っていた。
そして数分後。
実家の前に着いた。
ブレーキ。
無言。
そして――
「500円」
それだけ。
案内もなし。
「着きました」もなし。
振り向きもしない。
ただ、料金だけ。
その一言を聞いた瞬間、胸の奥が冷たくなった。
母がこんな対応を一人で受けていたらと思ったら、怒りより先に、悔しさが込み上げた。
でも私はまだ何も言わなかった。
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